HIROさん 41歳
数年間に渡る長編体験記ですので、「お気に入り」してお読み下さい。
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私と稲本先生の出会いは、2006年6月末のことでした。
インターネットのサーチエンジンを「ヒプノセラピー」
で検索してみて、いくつかのホームページを眺めながら、直感
的に「ここ!」と決めたのです。
当時、私の身辺には、取り立てて問題と言える出来事は起きて
いませんでした。
むしろ「ここに行ってみよう!」が先で、後から「では何をど
う相談しようか」が出てきた記憶があります。
その当時の私の境遇は、2004年に外国人のパートナーと始めた
中古車輸出の仕事も軌道に乗り始めており、一緒に暮らしてい
る実家の家庭内もとりあえず平穏。
それでも何故セラピストを探すのか、その理由を自分ではハッ
キリ捉えてはいませんでした。
普通に考えれば自営業で食べてゆけるまでになったことをもっ
と評価して、現状を喜んでも良いはずなのに、心の中を孤独感
が占めていました。
孤独感の実体は、言いたくて言い切れていない想いが堆積した
心の中の澱(おり)のようなものでした。 人に話してつまら
ない苦労自慢と思われるのが嫌だから、誰にも思いの丈を話す
ことは出来ず、かといってこの先ずっと独りで抱えてゆくこと
も出来ないその思いは押し縮められ、どこかに出口を探してい
たのでしょう。
実は私、稲本先生と出会う前にも、数人のスピリチュアルカウ
ンセラーや、霊能者(チャネラー)の下を梯子しており、それ
なりに納得のゆくアドバイスや、心温まるメッセージをもらっ
ていたのです。
「あなたの前世は、アラブの崇高な宗教者ですよ。」と言われ
て誇りに感じてみたり、「抑圧の多い家庭に育ったので何事に
も自信が持てないんですよ。」と言われて、「じゃあ、どうし
ろというのか?」と憤慨し、後で落ち込んだり。
それらの断片的な情報は、私を自由にしてくれるよりも、むし
ろ混乱させることが多く、もういい加減、スピリチュアルなも
のは一時凌ぎの安息を求めるのはやめようかと感じ始めている
ところでした。
有難い話をいくら聞いたところで、自分の生き方が楽になるこ
とは決してなかったからです。
生い立ち
私自身のことと取り巻く環境を少しお話します。 私は、寺の
住職を父に持ち、長男として生まれ、幼い頃に離婚により母が
家を出て行き、祖母や叔母たちなど、たくさんの女性に囲まれ
世話になって、その人間模様の中で育ちました。
子供の頃から、な~んとなく寺を継ぎたくありませんでした。
正座をするのが嫌い、格好悪い、毎日朝早起きが辛そう、等、
個々は大したことのない理由でした。それは高校を出て19歳の
頃、目前に差し迫った進路の問題を深刻に捉えたときに、
「あれもイヤ、これもやりたくない。」という抵抗となって表
れ、惰性で進んでいた道に、突然行き止まりの標識が立ちました。
嫌な事はいくらでも挙げられるのに、「何がやりたいのか?」
と聞かれると答えに窮してしまう。 どんなに考えても、何を
したいのかわからない。
とりあえず、仏教系の大学に入学をするものの、1年で退学。
毎日、悶々と悩みながらニートの生活を1年続ける間に、ナイ
ターの区営プールで中東系の出稼ぎ労働者の人達に出会い、急
激に仲良くなって好奇心から付き合い始めました。
その後、就職、住まい、病気など、さまざまな問題を抱える彼
らの生活の実態を知って、個人的にボランティア活動を始め、
どっぷりのめり込んでゆきました。
同性愛
というのは実は表面的な話で、同性愛者(物心ついて以来、好
きになるのは男性ばかり)だった私の好みは、中東系の彼らの
風貌とピッタリだったので、彼らの中からお目当ての相手を見
つけては、その人に好かれたいが為にお節介を焼き、目立たな
いようにみんなにも平等に親切にしていただけのことでした。
そのうち彼らの中のお気に入りの一人と、肉体関係を伴う恋愛
を初体験。
外国人と男同士の恋愛、 そしてセックス。
「これは普通の男がやることとは違う!」と感じながらも、ど
うしようも無く、男同士の性にはまり込んでゆく自分は「思っ
ていた通りゲイなんだ!」と自覚しました。
(危惧していたことが現実になった。世間にも家族にも顔向け
できない自分になってしまったという感じ。)
イスラム系の人達と、
彼らの生活に入り込んでいる唯一の日本人ということで人気の
高かった私は、その後も付き合う相手には事欠かず、別れては
何人もの人と関係を持ったのですが、イスラム教徒の彼らは、
いずれは国に帰り、多くの場合は親が用意した縁談で、フツー
に女性と結婚をする人達。
男同士の道ならぬ関係を持ってもそれは魔が差しただけのこと
として、全て消したい過去にされる。
そんな彼らとの恋愛は、刹那的で、先行きのない物悲しさが常
に伴うものでした。 どんなに好きでも、最後には越えられな
い因習の壁にぶち当たり、壊れてしまう恋愛関係。
同性愛者であることは世間体が悪いだけでなく、徒労と消耗ば
かりの恋愛には、どんなに耐え忍んでも未来の幸福はない。
私の中には、次第に悲恋のパターンが染み付いてゆき、いつし
か心が荒んでゆきました。
失恋の度、激しく落ち込んで、バイトを休むことも度重なり、
無気力で灰色の精神状態。 結局、彼らとの付き合いは7年間続
き、“愛のささやき” を伝えるために彼らの言語まで覚えてし
まった私は、日本にいながら海外で行く宛てのない放浪生活をす
るような毎日を送っていました。
こんな私でも、いつかはキチンとした形で社会参加を果たさな
ければ。「こんなんじゃマズい!」と段々焦りが出てきて、不
毛な男関係から足を洗い、彼らと距離を置くようになり、その
頃になると、地元の100人くらいの彼らの狭いコミュニティー
にはうわさが蔓延し、散々浮名を流して悪名高い存在になった
私をまともな目で見る人などいなくなっていて、友達として仲
間に入ることさえ難しくなっていました。
私は、半ば追放されたのです。
(イスラム教では同性愛は絶対タブーとされている。が、実際
は男色家が多い。)
ついでだったとはいえ、親身に接していた人達から嫌われたこ
とは、当時の私にとってとても深い傷となりましたが、その悲
しさと屈辱感を理解してくれる人は、身の回りに誰もいません
でした。
起業
それで今度は汚名を返上するために、肉体関係なしで、とこと
ん相手のために尽くすことに躍起になりました。
人伝に知り合った無名で貧乏なアフリカ人の自称俳優に肩入れ
して、自分のお金と時間を全てつぎ込み、生活の面倒を見てビ
ザを取らせ、1年半経って、彼は立派に自立してゆきましたが、
送り出す私に晴れがましい思いはありませんでした。
やせ我慢をしてみても、つまるところ、私は彼のことが好きだ
ったので、彼にチャンスを与えられえたことは嬉しくても、日
の目を見なかった愛情は無残に挫かれて、心には恨めしいほど
不満が溜まり、一時は顔も見たくないまでに彼を遠ざけました。
気が付いたら一文無しどころか、借金まで抱えていた私。
もう自己犠牲はやめにしようと思っていたのに、その後、また
もや中東系の超好みなタイプが目の前に現れました。
その頃の私は、バイトを張り込んで借金も返済し、安定した生
活を送っていました。
好きになったら底なしの自分を知っているので、好きにならな
いように必死で予防線を張っていましたが、その後、偶然が重
なりさらにその人と知り合うことになり、彼は顔だけでなく性
格も良く、おまけに薄給でこき使われる不遇な環境にいること
を知り、予防線の堤防はあえなく決壊しました。
私は、彼の勤める中古車貿易の会社に潜入し、彼を助けること
に決めたのです。 誰に頼またわけでもないこのプロジェクト
は成功することが全て。 失敗したら、彼を巻き込み、まわり
に笑いものにされ、家族にも迷惑が掛かる。
それを分かっていながら、私は一世一代の大勝負に出たのです。
彼が働いている会社に雇用してもらい、働きながら1年がかり
で経営のノウハウを盗み、申し合わせて古巣の会社を脱出。
その後、独立して中古車輸出業を自営で始めました。
独立した後は、通訳をし、身の回りの世話も焼き、影のように
寄り添ってわがままを言わない、よく出来た女房のような自分
を演じました。
彼は同性には全く興味がなかったので、肉体関係ナシでの奉仕
でした。
「身を粉にして心底尽くせば、きっといつか道を阻んでいた壁
を乗り越え、結婚するとか、恋人同士ではなくても、“永遠に
大切な関係” にたどり着けるのではないか。」
何度失敗しても諦め切れないその夢に、今度こそ決着を付ける
つもりで、「これが最後の悪あがき」とばかりに食い下がるの
でした。
ところが、人の気持ちは勝手なもの。 好きで背負い込んだ苦
労も、時が経てば段々に重く、伊藤素子さんのようにボロボロ
になって尽くしたつもりが、独立後、経営上のシビアな問題で
やり合っているうちに、関係がギクシャクしてきて・・・
愛おしかったはずの彼との関係は、いがみ合いの多い、息苦し
く気の重いものに変わってゆき、そのうち二人の間には一触即
発の不満が爆発しそうな陰険な雰囲気が常に充満するようにな
りました。
出来た人間を演じてやせ我慢をし続けたのに、結果的に際立っ
てくるのは、強情で欲求不満だらけのみすぼらしい自分でした。
結婚をし、子供が出来て、仕事も調子が上がってきている世間
的に順風満帆な彼を心から喜べない。 すねた自分を嫌悪しな
がら、口に出す言葉は皮肉とお世辞ばかり。
夫婦にも無二の親友にも負けない強固な愛で結ばれた関係が欲
しかったのに、自分たちは普通の友達にも及ばない、心の通わ
ない仲に成り下がってしまった。
「いつからこんな関係に? こんなはずじゃなかったのに!」
「彼の幸せを喜べないのは、見返りに幸せにしてもらおうと
期待しているだけで、自らの幸せを求めようとしない依存症の
せいだ。」
それに気づいた私は、もう、ノンケの男性への横恋慕はやめて、
同じ境遇のゲイ同士、対等な関係で幸せになれる誰かを見つけ
る!と心に決めたのです。
そうは言っても、ゲイの世界にはなじみがない、新宿二丁目に
行ったこともない “隠れゲイ” だった私は、おっかなびっく
り出会いの扉を開いてみてはみたものの、気後れして、雰囲気
に圧倒されてばかり。
まずは付き合う相手を探すだけでも大変な困難でした。
それ以前に、今までのべつ彼を構ってばかりいた私には、新し
い関係に走って彼への関心が薄れること自体裏切り行為に思え
て、まるで子供への影響を慮りながら再婚を考えるシングルマ
ザーの気持ちで悩んでいた私は、出会いを得て、幸を感じるま
でにはまだまだは程遠い距離にいたのです。
稲本先生の下を訪ねたのは、丁度、こんな時期でした。
大変偏った内容の自己紹介になってしまいましたが、これでや
っとスフィアに辿り着いた経緯を説明することが出来ました。
そうなんです。稲本先生に会って私はまず、この長い奇妙な経
緯を、延々と、途切れなく、詳細に話し始めたのでした。
解放と浄化
何の先入観も判断も加えないで、同化するように話に聞き入っ
てくれる稲本先生を前にすると、今まで一度もうまく表現でき
なかった心の痛みの本質を詳らかに話すことが出来、
さらに、その下のもっと深いところから「本当の想い」みたい
なものが掘り起こされて、自分の口を通じて外に出てゆくのを
感じました。
喋りながら自分の言葉を自分で聞いていて涙が出てきたり、
「そうなんだよ!ホントはそう思っていたんだよ!」と忘れか
けていた本心が甦り、チャネリングの時は他人から語られた私
の魂の声が、今度は自分の口から深い実感を持って語られてゆ
くようでした。
それは発見と納得がぎゅっと詰まった、大変気持ちが良い時間
で、さらにその体験を求める尽きない欲求に動かされて、その
後、私は何度もスフィアに足を運ぶことになったのです。
・・・ここからは、時間を追って私に起こった変化を思い出し
て書き出してみようと思います。
2006年の夏頃【習慣的なものの見方の後ろから見え始めた事実】
「面倒見が良い。 尽くすのが好き。」こう表現すれば美点で
すが、同時にこれは苦労性で、何かしてあげないと相手と普通
に向かい合っていられない不幸なクセでもありました。
相手の欲しいものと、自分の気遣いが一致しているときは良く
ても、相手の喉が乾いているかどうかわからないのに、無条件
に水を差し出してしまう。
苦労性の自分が常に幅を利かせているのです。 自分がどう見
られているかが、とにかく気になっていて、相手の気持ちを観
察する余裕がありませんでした。
この頃の私には、初めてのゲイのお相手がいました。
少し年上の、コロンビア人のスペイン語の先生でした。
その彼が自分ではあまり好きでなかった私のちょっと太目のム
ッチリした体つきが好きだと言ってくれるので、自分がどう思
おうと、相手が好きならばそれで良いかな~と、大らかなにな
れたのは、今までにない心の動きでした。
まだ古い習慣を抜け出せないまでも、「待てよ、これは自分勝
手な取り越し苦労ではないか?」と、思わぬところに潜んでい
る自分の思い込みを発見し、心配の連鎖を断ち切ってみようと
試みていました。
それを相手がどう感じているか確認しながら、対等な関係って
こんなものかな?と模索している状態。
毎週日曜日に決まって会う、ホンワカとした、心地よいつきあ
いでしたが、キスをしても、体を合わせても、新しい恋愛パタ
ーンに慣れなくて、不感症のように何も感じない私。
その度に、場を白けさせて申し訳ない気持ちでした。
そんなことをしていたら、付き合いは徐々にフェードアウト。
時々メールや電話で話す友達に降格しました。8月に顧客のいる
中古車の輸出先のドバイを訪れました。
ドバイにいるアラブ人の顧客とのやり取りは、今までになく手
応えのある充実したもので、仕事がぐっと密着して来ました。
それまで、ただ落ち度なく無難に仕事することばかりに気を取
られ、緊張感とストレスが多い仕事をして来ましたが、そこに
楽しさが加わって、自分で築いた仕事のポジションが嬉しく思
えるようになりました。
その一方で仕事のパートナーは里帰りの帰国が長引いて、私は
一人で、相変わらず彼のために義理で仕事している感覚が拭い
去れずにいました。
&deco(b,magenta,,18){2006年の秋~冬 【未体験の状況が強制的に押し寄せる】
};
この時期は、劇的な変化が訪れました。
それらは内面ではなく、外からもたらされたものばかりでした。
どれも今までに体験したことのない状況なので、データがなく
傾向対策が立てられなかったことが共通していました。
仕事のパートナーが、奥さんと子供と共に再来日した。
二人で運営してきた会社に、3人目が加わった。(パートナー
の幼なじみの男性)出会い系サイトで知り合った年下の男の子
に、今まで感じたことがない強烈な愛情を抱いた。
お話したとおり私の恋愛感情から始まった仕事のパートナーと
の関係。
もう既に嫉妬もやっかみも消えているとは感じていても、奥さ
んと子供との実生活を間近に見るのは初めてのこと。
家族に時間を多く割くようになる彼に対して、私はどんな感情
を抱くのだろうか。
その不安を残したまま、現実は訪れました。
初来日した家族のため、家庭生活偏重の行動を取った彼・・・。
仕事の話もそこそこに、逃げるように家に帰ってしまう態度に
あきれながら、後を追って来日した幼なじみの友達の事も私の
ところに預けっぱなし。
事態は混沌とし、何がどうなってゆくのか分からなくなりました。
不安を消化するため、毎日彼に対する愚痴を並べ立てる私に、
幼なじみの友人は、「これでも本当に友達なのか?」と唖然と
するばかりでしたが、彼は私とパートナーが、二人して育てる
子供の役割を果たしてくれました。
面と向うと意見が対立するのに、彼を挟むと二人の役割分担は
無駄なくスムースでした。
彼は昼間パートナーの相棒を務め、仕事を覚え、夕方からは事
務所に戻って私と一緒に食事をしたり、世間話をしたりして過
ごし、上手に少しずつ “両親” を立てて育ててくれる親孝行
息子でした。
幼少時を一緒に過ごしたパートナーと、彼の世界は、大人にな
った今でも競い合い、自慢し合って、お互いを触発する“野郎
友達”の世界。
「俺は今日、ネットでこれだけ車を探したよ。お前は?」と言
い合って競う中でする仕事は、まるで楽しいクラブ活動の世界。
先輩として彼を指導し、同僚として競い合って、パートナーは
イキイキと自信を取り戻して行きました。
私は昼間一人で事務仕事をし、夕方から一緒に過ごす放課後担当。
一緒に食事をして、仕事で疲れたり、ホームシックにかかって
落ち込む彼を誘って、気分転換の深夜のドライブに出かけるの
は、実は私にとっても癒しの時間だったんだよ。(笑)
混乱した事態の中にやっと一筋の光が見え始めた12月のある日、
私をぎっくり腰の一撃が襲いました。
膝も痛く、歩くのがやっとの状態。
年末の忙しさの中、気になることは山ほどあるのに、何も出来
ない状態になってしまった私は、すべてを二人に任せ、傍観す
るしかない状況に置かれました。
「ああ、疲れた。自分ひとりで頑張るのは、もう疲れた・・・」
痛む足腰は、独りで負荷を支え続けることを断固拒否するよう
に、無期の休養を求めています。
事務仕事が溜まり、師走でまわりの人達は忙しく動いているの
に、ひたすら休止状態は続きました。
年が明け、松の内が終わるころには、腰の痛みもほぼ良くなっ
ていました。
愛してる
8日の夜、いつものように惰性で出会い系サイトのチェックを
していると、自分のプロフィールを閲覧した人のリストの中に
「おっ!」と目を引く顔がありました。
25歳の、ラテンと白人の混血アメリカ人で鼻ピアスをした男の子。
若くてファンキーな25歳と腰が痛い40歳のオジサンとではどう
考えても釣り合いが取れそうにないのに、勝手に手が動いて
「こんにちは、チャットしませんか?」と誘っていました。
すると、向こうからも「すごくタイプです、チャットしましょ
う」と返事が来ました。
深夜に何時間も続いたチャット。
その当日、夜、新宿で会ってデートしました。
実際に会うと15歳の年の差なんて全く関係無いくらい会話が弾
んで、二人は良い雰囲気でした。
彼は今までに出会ったことがないタイプの、賢く魅力的な、そ
れでいて、話にとても共感できる部分が多い人でした。
それで、すぐに意気投合して、初めてのデートで始めての夜を
共に過ごすことになりました。
その晩は、今までの自分とは違って、相手の顔色よりも内側に
ある、彼の気持ちがずっとよく見えていました。
とてもピュアで、いろんなことを敏感に感じている彼の心。
そこから限りなく降り注いでくる、「好き!」という感情のシ
ャワー。
それを浴びて一晩過ごしたら、自分の中で何かの蓋が開いて、
抑制のきかない感情が飛び出してくるようでした。
朝になっても二人とも離れたくなくて、それぞれの仕事場に着
いてからも、またチャット。
チャットのカメラの窓で、ボーっと見詰め合っていたら、ふと
ある考えが閃きました。
『ああ、これが「愛してる」っていう気持ちだ!』
今まで感じたことがないのに、なぜか確信がある。
愛は相手の幸せを願うこと。愛に上下の隔たりはない。
そんな定義などどうでも良い。この感覚がすべてを言い表して
いる。
「ア・イ・シ・テ・ル」ってこういうことなんだ!
心の中は、ただどこまでも “好き” なだけで、自分にない何
かを待っているからとか、自分より何かが優れているから好き
だという成分はなく、今までとは全く別パターンの愛情。
その気持ちを 「愛してる」 と言葉に出して伝えるだけで、宙
に浮くほど嬉しくて、これ以外にはもう何も要らないとさえ思
えてしまう。
二人とも、すぐにまた会いたくて、4日後の夜に、池袋で2回目
のデート。
ところが、その日を境に、彼の態度は徐々に不安定になってき
て、1週間後に一方的に別れを切り出されました。
止めようとしても、彼の拒絶反応の発作は抑えようがなく、結
局、私を突っぱねる強硬な態度になす術もなくなり、仕方なく
私は彼に「さようなら」を言いました。
2007年1月から3月 【全部無駄じゃなかった!】
愛は幻だったのか。それとも、消えてなくなったのか。
どうしても消えないこの疑問。
別れた後も、彼のことがずっと忘れられなかった私。
「こんな風に誰かを好きになったのは初めて。だから戻ってき
ておくれ!」
「友達でも良いから、連絡取れる仲でいようよ!」
手を替え品を替えアプローチしても、彼は頑なに拒むだけ。
もう二度と彼の人生の中に私が入る余地を与えてはくれません。
そのうちメールの返事も来なくなり、彼の姿が見られるのはブ
ログの中でだけとなりました。
たった2週間の短い付き合いだったけど、お互いの心の中のこ
とをたくさん語り合って、深い想いを知ってしまった彼のこと
が気掛かりで、頻繁に更新される、写真がいっぱいのブログの
中の彼をずっと追い続けていました。
途切れなく襲ってくる悲しみにあえぎながら、どうしても別れ
の真相が知りたくて25歳という年齢を必死に生きている彼の姿
にフォーカスを合わせると、少しずつそこからいろんなことが
わかり始めてきたのです。
会えなくても、言葉を交わせなくなっても、あの時確認し合っ
た愛はまだ生きている。
自分から別れておきながら、深く落ち込んでいる彼に、「ほら
、元気出して!」と念じていると、何かの切っ掛けで、彼に笑
顔が戻る。
行き詰っている問題に悩む彼に、「こうすれば良いのに~」と
気を揉んでいると、「どこからともなくアイデアが浮かんで、
こうすることに決めました」とブログに書き込みが加わる。
実際には途切れている二人の係わりは、目に見えないところで
まだ続いているように見えるのでした。
3年間付き合って、3ヶ月同棲して、最後は激しく傷つけ合って
別れた元彼のことをずっと引き摺っていた彼。
恨んだり、後悔したり、愛を信じたくても信じられない、揺れ
動く25歳の心。
アメリカに戻って大学院で勉強する目的のため日本で仕事を始
めたのに、目的を忘れ、道草をしている自分に対する苛立ち。
不安を打ち消すように酔って悪ふざけをしたり、わざと変な顔
で写真に写ってみたり。
けれど、どんなことをやっても、あのとき私が感じていた純粋
な光りを放つ彼の姿が、後ろに見え隠れしている。
頭で決めることと実際にやることがちぐはぐで、自分がよくわ
からなくなっては落ち込む彼。
そのたび私は、「ほら本当のキミはちゃんとそこにいるよ!」
と叫びたかったけれど、今、彼は声も届かない場所にいる。
そうやって、自分のことのように身近に25歳の彼の青春の姿を
見ているうちに、自分にもあった25歳とか、それより前の回想
が同時に進行して来るのでした。
今まで相手の成長を待たずに、助けの手を差し伸べてきた私の
手は、縛られてしまって動かない状態。
だから、どんなに手出ししたくても、ただ黙って見ていること
しか出来ない。
今、私はまるで体を持たない魂だけの存在になって、空の上か
ら彼を見て、気を揉んでいることが精一杯の、何の役にも立た
ない存在。
それでも何かが彼に向って流れ続けていて、その何かが目に見
えない影響をお互いに与え続けている。
小さく開かれたブログの窓からは、地上の出来事が、そんな風
に見えたのです。
考えてみれば、過去に私が誰かに「何かをしてあげた」と大げ
さに考えていた行為だって、その人の長い人生から見ればほん
の些細な切っ掛けにしか過ぎなかった。
今までの私は、費やした時間や労力の見返りが得られなかった
ことに心を痛めて人を恨んできたけれど、本当は係わりあって
色々な切っ掛けを与え合うことに意味があって、そういう恩恵
ならもうたくさん自分に戻ってきているじゃないか。
・・・・幼稚園の昼食の時間に、母親代わりの叔母が苦心して
作ってくれた三段重ねの弁当を開けた途端、涙が溢れてきて食
べられなくなった自分を思い出されてきました。
あのとき自分の中にあった想い。
『なぜ自分はこんなに世話を掛けなければ生きてゆけないのか。
こんなに苦労して弁当を作ってもらっても、それは一瞬のうち
に腹の中に消えてゆくだけ。
そのために、どうしてそんな痛々しい苦労をするのか。そんな
気持ちを掛けてもらったって、自分に出来ることなど何もない
のに・・・』
そう考えると、ただただ悲しくて、切なくて、涙がこぼれて来
るのです。
何も出来ない。 何もしてあげられない。
でも、本当は世界中の誰もが、人の好意を無駄にしながらも、
土に還ったその残骸の養分に気づかぬうちに育てられて、成長
し続けている。
そういう行為を、意図することなく、お互いのためにやり合っ
ている・・・。
無駄がたくさん重なって、それがあるとき大事なものを形作り。
これぞと思いを込めてしたことの形が無残に壊れ、屍になり、
養分になって、またその成長を支える。 愛は形を変えても消
えない。
・・・だた、見えたり、見えなくなったりするだけ。
だから、何も悲しむことはない。
・・・もう、自分が無駄になることを畏れる必要もない。
彼への尽きない想いは、その後も私の中でたくさんの過去回想
を引き起こしてゆきました。
そうやって体験したのは、あの世に旅立って戻れない過去の清
算をするときのように克明で詳細な回想で、もう一度遠い過去
の現場に戻って、再び自分の思い、相手の思いを改めて知るこ
との終わりのない繰り返しでした。
父母のこと、家族のこと、子供のころの良い思い出、嫌な思い
出、忘れられない恋の相手、泥沼の恋愛沙汰、忘れたくても忘
れられない恥ずかしい話。傷つけた人、傷つけられた人・・・。
その都度、自分の気持ちになったり相手の気持ちになったり、
彼と別れてからの2ヶ月は過去回想三昧の日々。
悲しくなくても、ひっきりなしに涙が流れてきて、いつになっ
たら止まるのかと、その度泣き腫らす目の方が心配になるほど
でした。
結果として分かってきたのは、良い思い出も悪い思い出も、好
きだった人も、憎んだ人も、それらはみな「なりたい自分」に
成長してゆくために必要な経験で不可欠なキャストだった。
ということです。
親切に接し合った人も、皮肉に傷つけあった人も、それらはみ
なお互いの成長のために係わりあって育み合う行為の様々な形
であり、私たちは知らないうちに、お互いのために生きている。
もっと言えば、それを知るためにこの世に生まれてきたのだと
いう、驚きの事実が段々に明らかになってゆきました。
あの世に旅立ってしまったような精神状態の私は、その時期、
仕事がほとんど手につかない状態にありました。
ドバイの顧客の子供が駄々をこねるようなクレームの電話にも、
以前の私だったら泣く子あやすように対応していたのに、もう
そんなことする気力は残っていません。 『延命措置など要ら
ない。
仕事も人間関係も、やっと出会えた愛する人を失って落ち込ん
でいる自分自身も、どうせ死ぬなら、死んでしまえ!』「なる
ようになれ!」とはこの時の自分のための言葉です。
会社経営は瀕死の状態。 しかし、このとき眠れる獅子のよ
うだった仕事のパートナーが、危機を察知して、突如として腰
を上げたのです。
彼の成長は目を見張るもので、昔は抵抗ばかりしていて言うこ
とを全然聞いてくれなかったのに、いつの間に覚えたのかしっ
かりと仕事を掌握して、新入りの彼をしっかり指導して、逞し
く動き始めました。
普通ならば、「この大事に、何でお前は働かないんだよ!」と
食って掛かられるところを、「具合はどう?」なんて、二人に
気を遣ってもらったりして、ちょっと前まで愚痴だらけだった
私はちょっした左団扇の状態。
きっと彼は働きたくなかったのではなく、名誉挽回のために、
カッコいいとこを見せたかったのです。
可笑しなもので、手助けには応じなかったのに、情けない自分
をさらした途端、彼は急にいいところを見せるようになりまし
た。
私は、ホントは「申し訳ない」と心苦しかった彼の気持ちに気
づいていなかっただけなのです。
私の予てからの願いは、パートナーを成功者にすることでした。
気付きませんでしたが、彼の自立には、最終的に私という補助
輪が余計だったのです。
でも、離せなかった手は、止むを得ず離すことになったら、彼
はもう立派に自立していました。
もっと早く手を離していればとも考えましたが、結論として今
はこう思います。
『手放さなかったから自立できなかったのではなく、やっとの
思いで手放せたから、立派に自立できたのだと。』
だから、一度死んでみて良かったのです。
そうして見て得られたのは、「すべて無駄じゃなかった」が形
になったような、世にも美しい光景だったからです。
2007年3月 【わからない。けど怖くない】
想像もしていなかった変化の波に飲み込まれながら、無事に生
還した観があったこの頃の私には、今までになかった新しい考
えがありました。
それは、考えて考えても思い通りにはならなかったのに、思い
も寄らぬ突発的な変化に身を任せたら、一番望んでいた結果が
得られた。 ・・・ということは、『もう心配は無用なのだ!
!』という理屈を乗り超えた希望みたいなものでした。
いろんな変化があった後のセラピーで、稲本先生に質問されて、
私は自分の考えが根本から変わっていることに気がつきました。
「いろんなことがありましたね。今年はこの先どんなことが起
こるのか、想像できますか?」
「いいえ、全然わかりません。」
「わからないことが、怖い?」
「いいえ、怖くありません!」
「そう。わからないけど怖くない。 わからないって、
本当はワクワクすることだったり、楽しみなことだったんです
よね。」
「ああ、本当だ!」
過保護だった自分がやめられて、初めてわかったこの気持ち。
そう!親の心配を真に受けて、心配させない子供でいようとし
たときから、見えない未来は心配で怖いものになっていたのです。
そして、自分もいつの間にかその心配を相手に向けて、「心配
させないでね」 「安全でいてね」と、無意識のコントロール
を掛けていた。
そして、そのコントロールから逃れようとする相手の言い分も
聞かず、不機嫌な態度しか出来なくて、結局は自分から羽ばた
いてゆく相手を悲痛な思いで見送るしかなかった、悲壮感だら
けの過去の自分。
(親子や男女間でよく有る、無意識のコントロールドラマです。
稲本)
でも、過去回想をしてみて、本当は今までだって望み通りに生
きてきて、やりたいことをやらせてもらって、それでも後悔な
いどころか「やって良かった!」と言い切れた今の私には、も
うそういう制約は不要になったのです。
この辺から、こじれていたパートナーとの関係は、見違える様
に良くなってゆきました。
理解できなかった彼のこだわりは、今となっては彼の大切なも
のに思える。オサマ・ビン・ラディンみたいな大きな髭を生や
して大人のふりをして、空気銃とか、無線機とか、軍隊が使っ
ている迷彩色のジャケットとか、そういうものに触れて興奮し
ている彼はまるでタリバン。
ジハードに憧れていて、英雄になることを夢見ている彼は、そ
のうち手に負えないテロリストになって、自分勝手な正義感で、
私がせっせと築いてきた会社運営も人間関係も台無しにしてく
れるんじゃないかと、無意識に彼の趣味を危険物扱いしていた
それまでの私。
そういう行為は子供だましの無為な遊びだと常に異論を唱えて
きました。
でも、今ではそんな無邪気な、子供みたいな夢を抱き続ける彼
が無性に可愛い。
守るべきものは、そういう無邪気で純粋な彼の心。
けれど、それを守るのに私の保護は必要ではなく、だからどん
なに可愛くても手をこまねく心配は無用なのです。
むしろ、私は私で自由に楽しくしている方が、彼だって心置き
なく自由を満喫できるはず。
☆ 『この頃までのHIROさんは、過去の絡まった糸をほぐして
ゆくと同時に、自己の内面の “女性性” を癒し、育て直して
いました。
その他にも、無意識レベルのコントロールドラマなど、今まで
無意識にしていた自己の投影に次々と気付いてゆきました。
そして女性性が癒されてゆくと、その次に始まってゆくのは、
・・・自分本来の男性性を発見し、それを現実の生き方に活用
してゆく事です。』 (稲本)
そこで思いついたのが、前から気になっていたエジプトへの旅
行でした。
「ここらでひとつ魂の洗濯といくか・・・」行ったことのない
土地で、未知の体験。 セクシーでカッコいい中東系男がいっ
ぱい見られる! それに過去数ヵ月、いろんなことがあって本
当に疲れました。
仕事仲間には最近頼ってばかりだけど、甘えついでにもう一頑
張りしてもらいましょう、と勝手にチケットを買って、初めて
のお留守番に緊張感漂う二人を尻目に、私はいざカイロへ。
今まで中東のドバイへは仕事で何度も足を運んでいたのですが、
そこには知り合いがいて、大した緊張感はない安全な旅行ばか
りでした。
でも今回は知る人のいない土地への一人旅。
最初だけ、ちょっとドキドキ。 でも、その後は楽しいことだ
らけ。
アラビア語しか話さないタクシーの運転手とゼスチャーで意思
疎通をして、ピラミッドや遺跡や博物館を回り、土地の人しか
入らない食堂に入って食べたことのない食べ物を食べて。
バザールを散策して。 観光客目当てに、優しく忍び寄ってぼ
ったくろうとするエスコートの男にわざと付いていって、案の
定高いお金を吹っかけられて、大声で怒鳴りあったり・・・ 。
そんなことをしているだけで、なぜかウキウキワクワクと楽し
かったのです。
まさに、わからないことは、ワクワクすることに変わっていた!
さらに、ピラミッドのふもとの民家を見ていると、そこですご
い発見をしました。
以前、ヒプノセラピーの最中に、たったワンシーンだけ、今ま
で見たことのない家の中庭に佇んでいる自分を見ました。
それは多分、今生ではない過去生の私。
性別は同じでも風貌は別人、妻帯していて、子供もいる。
それでいて、その人物は紛れもなく自分自身だという感覚があ
りました。
それとそっくりな風景を、ピラミッドのそばで見つけたのです。
興奮して、早速先生に国際電話をかけ、その話をすると、驚い
たというよりは 「なるほど」 という口調で、「う~ん、そう
ですか。そこはあなたにとって、とっても大切な場所なんです
ね~。」と一言。
後で考えてみると、たくさんの過去回想で余計な心配を捨て、
頭は自由になったけど、自由な考えが実際の行動に反映される
ようになった転機はエジプト旅行だったと思えます。
2007年4月から5月 【体と自己イメージに変化、そして激しい怒り】
稲本先生に、この頃、言われていたことがあります。
『あなたのお腹のところに、大きな感情エネルギーが待機して
いるんです。それが出てきたら、あなたはどんな風に変わるか
楽しみですね。たぶん今とは随分違う顔をしたあなたになるで
しょうね。 頭がこれだけ自由になって邪魔がなくなったから、
徐々に出てきますよ、でもビックリしないでくださいね。』
「??? なにそれ!」
これは私にとって本当に新しい情報でした。 頭から胸くらい
までの感覚は、今までにも感じたことがあったのですが、その
下に違う顔をした私が棲んでいる !?
腹を割って話すとか、腹黒いとかいう表現がありますが、想像
するにそれは多分きれいごとではない本音の自分。
エロいのもグロいのも全て含んだ、野太くて熱くて粘っこい塊。
なにか、そんな想像が浮かんできました。
そんな話を聞いてしまうと、お腹の中に潜む自分とやらを生み
出したくなったのです。
そこで私が考えたアイデアが、乗馬マシーンでした。
これはエジプトでラクダに乗ったとき、普段使わないお腹や背
中の筋肉が、後で筋肉痛を起こしたことがヒントになっていま
した。
それを先生に言ってみると、
『う~ん、いいアイデアですね!それは効果あると思いますよ。
ほらメイクラブを思い出して御覧なさい、腰を動かすときにお
腹の深いところにある筋肉を使っているでしょう。 その奥に
深~い感情が潜んでいるんですよ。』
「さすが、深いこと言うなぁ、先生。」
【男性性の活性化と、自己イメージの変化】
私は思い立つと、素早い方で、すぐさま乗馬マシーンを購入し、
毎日数回乗ってみました。
乗り始めてすぐ気づいたのは、立つ姿勢、歩く姿勢が全然変わ
ったこと。
前は膝から下でそろそろ歩いていたのが分かるくらい、お腹を
使って脚を引き上げ、大またでのっしのっしと歩くようになり
ました。
背中のS字を腹筋と背筋がしっかり支え、自然と胸を張った姿
勢にもなってきた。
そして歩いていると、自分特有のリズムが出てきて、気持ちが
ノッて来るのです。
私たちの中には、鏡で見ている自分以外に、いつも脳裏にこび
りついている自己のイメージというものが存在すると思うので
す。
丁度この頃、そのイメージが急激に変化した気がしました。
具体的には、以前の脳裏にある自分のイメージは、か弱で頼り
なく、ちょっと女々しいものでした。
でもその頃から、自分のイメージは男性的で、勢いがあって、
力強いものに変わりました。
そして、鏡で見る自分と脳裏にある自己イメージの差が、この
時期に、グングン縮まってゆくようでした。
前に述べたとおり、私は中東系のワイルドでセクシーな男が大
の好みだったのです。
ところが、この時期から男性に対する特定な嗜好はガックリと
減少。「自分と同じ男じゃないか!」と思えたら、男らしい男
を崇拝す気持ちは消えてしまいました。
私は昔から考え込みやすく、神経質でムスッっとしていたり、
無口でもっさりしたイメージを相手に与えやすかったのですが
、この辺から無防備にニヤッっと笑ったり、人に会ったときに
嬉しい表情が無意識に出たり、自然な感情表現が顔に表れるよ
うになりました。
これらの良い変化を追いかけるように出てきたのが、言いよう
のない「怒り」です。 以前なら見逃していたような、相手の
狡さが許せない。
お互いの弱さを庇い合う様に目を瞑りあってきた「狡さ」が、
目に付いて仕方ない。「まあいいか」はもう出来なくて、「今
日こそハッキリ言ってやる!」と啖呵を切りたくなるのです。
取引相手の調子のいい態度に腹が立って、突然食ってかかった
り、昔から自己中だった友達のいつもの態度に突然キレたり。
大して好きでもないのに腐れ縁で続いていた友人がこの時期3人
ほど消え去りました。
毎日毎日、何でこんなにイラつくのか、特に高齢者が多い家庭
内ではそういう自分を出して波風立てたくないので、一時はど
う対処したらいいのか頭を抱えてしまうほどでした。
『私って、前からこんなに衝動性が強い人間だったのか?!』
何かの拍子に私の中から出てくる、抑制のきかない激しい衝動。
”『でも、これを悪者として抑え込んで、みんなのために平穏に
生きるのが、本当に幸せな人生なのか?』”
男性性と女性性のバランス
両親の離婚以来、ずっと父方の家族に育てられてきた私と弟が、
寺のある生家を離れて暮らした3年間がありました。
父が再婚し義母と暮らしたその時期、義母は父親の家族とのし
がらみを嫌って、質素でも良いから核家族だけの暮らしを望み
ました。
何事にもバランス重視で、優柔不断なところがある父の性格。
二人の愛情が大事なのか、寺の家族としてのバランスの中に、
私はただ嫁として組み込まれるだけなのか? 今考えればわか
るのですが、それは初婚で後妻になり、連れ子の面倒も引き受
けた義母にとっては外せない重要な問題。
彼女はそのことを見極める究極の手段として核家族でのつまし
い生活を選んだのでしょう。
でも、実際の“核家族”の生活は初めのうちだけ。
そのうち、午前様の父を、苛立ちをかみ殺しながら待ちぼうけ
する毎日を送る皮肉を味わった義母の怒りは、連れ子であるま
だ10歳そこそこの私と弟に向って投げつけられました。
他に監視する人もいない無法状態の家庭で、掃除と食器洗いを
義務付けられた私と弟に対する義母の仕打ちは常軌を逸してい
ました。
掃除した床に、藁くずほどのゴミが落ちているだけで往復ビン
タの制裁が加わる。
言い逃れをしようものなら、裁判にでも掛けられるように執拗
に尋問され、つるし上げられる恐怖が待っていました。
機関銃のようにえげつない言葉でやり込められて、悔しくて、
そのことを訴えようと寝た振りの布団の中でいくら待っても、
父は帰ってきませんでした。
そのとき私を襲った閃き。
『もう、誰も頼りにならない。こうなったら自力でこの状況を
脱出してやる!』という強い衝動。
買い物に出かけた義母の目を盗んで、実行した2度の家出計画
は見事に功を奏して、念願叶って生まれ育った家に帰られたこ
とは、誰に対する報復でもなく、ただ自分の人生を自分で切り
開いた自分への自信と誇りになりました。
お陰で、私には虐待の傷はほとんど残っていないのです。
「自分の人生、自分で何とかしてやる!」いざとなったら、手
段を選ばず結果を恐れることもなく、停滞した事態をぶち壊そ
うとする、自分に宿るものすごいパワー。
この気持ちの出所を辿ってゆくと、行き着くのは寺のしがらみ
を飲み込めずに、飛び出していった生みの母親でした。
こらえ性が無い。大嘘つき。すぐケツをまくる、利己主義の
やくざな人間。
寺という体裁重視の環境の中で悪者扱いされて、それでいて今
でも語り草になっている、そんな母親の性癖。
でも、実は母から受け継いだその性癖が、人生の中で私を何度
となく窮地で救ってくれていたことにこの時期に気付いてゆき
ました。
今の仕事のパートナーを、不遇な環境から救い出したのも、こ
の気違いじみたパワーと情熱のなせる業だった。
修学旅行の宿で、友達がイジメの集団攻撃に遭いそうになった
とき、一人でその攻撃を鎮圧したのも、この馬鹿力だった。
怖いもの知らずなのではなく、この力を出すと、怖いものが消
えて、自分の中に平和な世界が戻ってくるのです。
家庭内では悪者扱いされるこの衝動性は、本当はいざというと
きの守り神のように、自分を支えてくれる貴重なエネルギーだ
った。
セラピーの中でわかった事実で、私の体の中には「何事も穏便
に・・・」というデリケートな父の性格と、「いざとなったら
手段を選ばないわよ!」という母親の性格が両方宿っているの
です。
頭からお腹の半分までが父親の世界。 その下が母親の領域。
丁度それは、寒気団と暖気団が押し合う梅雨の気圧配置のよう
で、谷間の梅雨前線に当たる体の部位には昔からよく痛みが現
れていました。
乗馬マシーンで刺激された腰と下半身からは、家庭環境のせい
で押し縮められていた母親の世界が徐々に勢力を拡大していて、
その痛みは背中に強く出ていました。
このエネルギーが、いろんな経験と回想があった後に解禁され
たのには、多分重要な意味があって、いろんな人たちの気持ち
を味わったから、今の私はやり過ぎた後に、仏心にも近い優し
い気持ちが溢れ出てきて、平和を連れてくるのです。
この時期、解禁された衝動性が “怒り” という形で噴出して、
仕事の場でも態度がキツくなった私でしたが、同僚は、私のそ
ういった激しやすい部分を、実は案外前から理解していたよう
で、やり始めると止まらない私の勇み足を、「しょうがないな」
と笑って受け流してくれることが多かったのです。
むしろ、その呆れた笑い方からは、「それでこそお前だ!」
というポジティブな反応さえ感じられる程でした。
このことからも、今まで思い込んでいた自己のイメージは、
まわりが認識する私のイメージとはかけ離れていたことが判り
ます。
怒りを感じてそれを外に出してゆくたびに、内と外のイメージ
のズレは一つずつ修正されてゆくようでした。
行動力・積極性 フットワークが軽くなる。
相変わらず出会いを求めている私でしたが、この頃からお誘い
さえあれば、どんな相手でも会ってみようとホイホイ出かけて
行ってしまう身軽さとか、積極性が強くなってゆきました。
白人だろうが黒人だろうが、なんでもまずは体験。
外見はさほど好みでなくても、付き合ってみれば案外、味なマ
ッチングなんてものもあるのかも知れない。
やってみなければわからない。
少し無謀と思える冒険をするのが楽しかったのがこの時期です。
ゲイのセックスには大別して男役と女役が存在するのですが、
昔の私は相手のために、そのどっちかに徹するのが良いことの
ように思い込んでいました。
だから、相手が男役をやりたい人ならば、やりたくなくてもウ
ケに徹しなければ嫌われて去られてしまう。
そのことがセックスにまつわる無意識の恐怖になっていること
に気がつきました。
ノンケの相手と付き合っていたときの私は、ウケ役が多く、精
神的に受け付けていなかったのに随分、無理をしていました。
そして、ゲイの相手と付き合い始めてからは、ウケの人ばかり
選んで、その恐怖を避けていました。
痛い思いをする恐怖はないものの、強制的にヤらされてばかり
いることにもそのうちウンザリしてきていました。
無意識の役割から、在りのままの自分へ、
この頃から、相手に合わせる恋愛のパターンはほとんど出なく
なりました。
昔は相手の希望を読み取ってから、それに合わせるように自分
を出すようにしていましたが、この頃から先ずはざっくばらん
に会話してみて、そこで自然に起こるお互いの反応から行き当
たりばったりのやり取りが生まれてゆくといった、成り行きを
楽しむ恋愛になっていったのです。
この頃『“役割を演じていた恋愛”から「そのままの自分でも
良いんだ!」という自然な恋愛観へと変化していった様です。
”「役割」は無意識に演じていると“自分では無い”のです。
”
:::::::::::::::::
でもこれと同じ様な【何~となくそうなっていた歪み】は、多
くの恋愛や、夫婦関係の中に蔓延している問題なのです。
こういう無意識の観念に気付いて変えてゆくと「心と心が分か
り合ってゆく。」「自然に、愛し合う」がスムーズに出来る様
になってゆくんです。 稲本
:::::::::::::::::
この頃付き合っていたのは、黒人のアメリカ人でした。
彼は、黒人の屈強なイメージとは全く違う内面を持った人で、
笑う顔がとても可愛くて、和気あいあいと抱き合ったりキスす
るのが大好きな人でした。
彼とのベッドの中で、役割を演じる強迫観念から解放されて、
ただ触れ合って時を過ごすことが心地よく、悦びに感じられる
ようになりました。
尽くしたり、相手の好みを演じないでも付き合いが成り立って
しまうことは、私にとっては驚きの大発見であり、
「何かをしてあげないと愛されない」といった、条件付の愛情
から解放されたことがとても嬉しくて、その喜びが日常にもウ
キウキした、明るく楽しい自分を呼び戻してくれたようでした。
残念ながら、その彼は「アメリカに帰る」と言って、突然姿を
消してしまいましたが、嬉しい変化をもたらしてくれた彼は、
今でも憎めない可愛い人です。
2007年6月7月 【体に合った生活スタイル】
一つ前の時期に爆発した怒りは徐々に収束して行き、その後出
てきたのは疲れでした。
調子にのって乗馬マシーンに乗りすぎて、お腹と腰の筋肉を痛
め、鍼治療に通うまでに。
でもよくよく考えてみると、腰の疲労は昔やっていたトラック
ドライバーの仕事座りっぱなしの事務作業、さらには無為にパ
ソコンの前で時間を過ごすことなど、この痛みは色々な無理の
蓄積だと気付いてきました。
私は長男でありながら寺を継ぎませんでした。
「絶対イヤ!」と突っぱねてしまったものの、その後も自分の
進路を決めるに当たって、『蹴ってしまった跡取りの道に見合
う立派なものにならなければいけない!』と思い続けてきたの
です。
今思えば、それは大変な無理難題で、暗中模索の未来探しの途
中で、立派なお坊さんに見劣りがしない自分の姿を披露できる
訳などなかった。
何をやっても家族には後ろめたくて、新しいことを始めるなら
ば、誰も起きていない夜中に、こっそりと。
「お披露目するのは、それが見せられる形になってからでないと・・・。」
そういった地下活動が、私の極端な夜更かしの由来だったこと
に気がつきました。
私は働き者でも、スポーツマニアで体を酷使してきた訳でもあ
りません。
でも、体にとっては、その時その時の勝手な都合に付き合わさ
れて、本当に大変だったと思うのです。
時には、まわりに気を遣いすぎて、気の向くまま動けなかった
ことも、座りすぎ、考えすぎで心身にストレスを与えていたは
ず。
そのストレスから増えるタバコも、体にとっては大きな負担だ
ったでしょう。本当に、今まで良く持ち堪えてくれました。
そんなことに気づいたら、体を労わりたい気持ちが湧いてきて、
同時に眠くて眠くて仕方ない日が続きました。 夕食を食べた
後もゴロリ。 仕事をしていて睡魔に襲われたらゴロリ。
何をしようか決まらなくて考えあぐねたらゴロリとうたた寝。
習慣的に思い込みの行動に支配されそうになると、体が勝手に
スイッチをOFFにして、眠気が襲ってくるのでした。
前の時期、噴出した “怒り” と共に気付かされた、体の中で
真っ二つに断裂していた、父と母になぞらえる私の中の二つの
人格。
セラピーの中で、「眠っているときに体は起こった変化を消化
しているんですよ」という指摘をいただきましたが、この眠り
の中で起こっていたのは断裂していた二つの人格の和解だった
のかも知れません。
それはお互いが妥協して融合するのではなく、元々は同じ出所
の二極の性質が、その性格をそのままにお互いの存在価値を認
め、共存してゆく道を選択したのだと言うと、とても納得のゆ
く答えになります。
眠い時期の後、突然に起きた嬉しい変化は、朝起きられるよう
になったことでした。
自営業なのだから、仕事の段取りは自分で決めてよい。
だからやるべき順番で動かないで、先ずはやりたいものから。
時には、お得意さんに油を売りに行くなんてスケジュールだっ
て大丈夫なのです。
他人がどう思うかは2番目で、先ずはやりたい気持ちを優先しよ
うと思えたら、ある日から急に朝起きられるようになりました。
私はこの変化がことのほか嬉しく、稲本先生にいきなり電話し
て報告したほどでした。
それは、進路に迷った19の頃からずっと裏街道だった自分の人
生が、やっと日のあたる場所に戻ってきた、大変おめでたい転
機だったからです。
人って、知らず知らずのうちに、随分無理をしているものなの
ですね。
世間的には役立たずのプー太郎をしていた頃から、自分が無理
を重ねてきたなどと、誰が想像できたでしょうか。
でも、体はその全てを受け止めて記憶しているのです。
無理のメカニズムは、他人との比較では解らない構造になって
いるので、自分の体の声を謙虚に聞いてあげることは大事なこ
となのですね。
私たちは、頭で考えた理屈を体に押し付けることはしても、体
の言い分はしっかり耳を傾けていないことが実に多いのだと、
この頃の経験から学びました。
体に関する一連の変化を経た後、恋愛とセックスに対する態度
や気持ちにも変化がありました。
どちらかと言うと相手に対して慎重なアプローチをする方だっ
た私の態度は一変し、自分から仕掛けて、相手を構って反応を
見るのが楽しくなってきた点です。
要するに、スケベなオジサンの本性が現れてきたのです。
でも、それは自分の年相応の外見にも、内面の世界にもマッチ
したものらしく、やっていて違和感がなく、相手にもすんなり
受け入れてもらえることが多かったのです。
相手がエッチな気分になってくると、自然とエッチな言葉が口
を突いて出てきて、そのことで一気に親密さが増したり、自分
の外側とも内側ともタイミング合った表現が出てくるようにな
りました。
構っていて楽しいので、自然と年下に関心が強くなってきまし
た。相手に彼氏がいようが、お構いなし。堅いことを言う相手
をハラハラさせるのが楽しかったりするのですが、心に悪意は
なくて、それは相手に対するエンターテイメントだったりする
のです。
恋する気持ちは、自分や相手にとって都合の良いときだけ出て
くるものではない。
頭で考えた都合を無視して、自分の中に起こっている衝動を言
動にしてみると、それがその時一番新鮮なトキメキを呼んでく
るのです。
昔の私は、覚悟を決めた重い恋愛が得意でしたが、今の私は・・・
随分、軽い男です。(^。^) 思いやりも大事だけど、そればっ
かりじゃつまらない。
意地悪や悪ふざけも、少しならOKと思えてしまうのです。
自分の外見については、ハンサムじゃなくても、なんとなく魅
力があって、鏡を見て「オッ、いい感じ」と思えるようになっ
てきました。
自信なんて無くて良いのです。
外見が自分という自然を表現していて、それがなんとなく
“見れる” レベルであれば。
面白い現象がもう一つあって、その頃から、道路ですれ違う相
手に自然と道を空けてもらえるようになりました。
不遜な態度で相手を威圧しているのかもしれませんが、存在感
が増したとも思えました。
さらに、街を歩いていて、男性にも女性にも、ハッと注目され
ることも多くなりました。
女性は私がゲイだとも知らないで男らしい異性として意識し、
カッコつけてる男ほど、私のことを “男” を張り合う同性と
して一目置いているのが聞かなくてもその見方から判るので可
笑しいのです。
:::::::::::::::
そう!この頃のHIROさんは額や眼の周囲にあったシリアス(?)
不安感の様な印象が急速に消えてゆき、眉間が明るくなって胸
郭が開いて、厚い胸板が更に拡がってゆきました。
(いや、ハッキリ言って羨ましいぐらいカッコ良い体型。)
冒頭で『困惑した様な、眼から額の辺りはまるで仮面舞踏会で
顔の上半分を隠すマスクを着けている様な・・・』と書きまし
たが、正しくそのマスクが取れて、HIROさんの元々持っていた
本当の顔が現れて来た時期です。
読んでる方は「どんな人なのか?」と興味が沸くのではないで
しょうか?
有名人で言えばK-1格闘家の角田信朗さんに体型も笑顔もソック
リ! いや、もっと幸せそうな感じか?と言えばイメージ出来
るのでは?
でもこういった顔の形や体型・見た目に表れる雰囲気は、セラ
ピーをしてゆくと、多くの方に表れる大きな変化であって、
Hiiroさんだけでは無く、セラピーの中で無意識の【自己イメー
ジ】が変化したり【『私なんて・・・』と心の中で思ってしま
う無意識の自己否定癖】などに気付いて、そこが癒えてゆくと
、自分が好きになってゆき、自信が出るからなのでしょうが、
お腹が上下に伸びて、胸郭が拡がり、バストが上に、左右に拡
がって体型が全く変わってしまう方も多いものです。 稲本
::::::::::::::::::
2007年、8月~9月現在 【間違わないより、間違って訂正が良いね!】
これからの私は、軽い恋愛ばかりになるのかと思っていたら、
1月に会ってすぐ別れた彼との、感動的な再会もありました。
これからアメリカに渡ってしまう彼は、日本での最後にもう一
度会いたいと、連絡してきたのです。
別れ方が別れ方だったために、最初は後ろめたさが抜けない彼
でしたが、「エッチする覚悟じゃないと、会わないよ!」と、
単刀直入で軽い私の態度にかえって肩の荷が下りたのか、彼は
すぐに会ってくれました。
その日は丁度、彼の誕生日でした。
記念日だし、ホントに久しぶりなので、ただ懐かしい気持ちだ
けで何も期待しないで会ってみるとやっぱり彼は私にとって特
別で、他の人が消えてしまうくらい大好きな気持ちが蘇ってく
るのでした。
これからアメリカに渡って仕事をしながら大学院に向けての進
路を邁進してゆかなければ! と考えている彼は、改めて恋人
同士の付き合いを求めている私をまたしても拒みましたが、会
ってる間、彼からは前にも増して「好き!」というシグナルが
ひしひしと伝わってきました。
ベッドの中でも、彼はどこかとても真剣な感じで、私の感覚を
出来るだけ深く受け止めて、自分の中に刻み込んでいるように
見えました。
あの彼の表情を思い出すと、私は今でも気が狂い出しそうです。
彼は「仕事してお金を貯めて大学院に入る道のりを進んでゆく
ためには、恋愛は邪魔になる」と考えているのでしょうか?
それとも、「将来への道へ本気になって進んでゆかない自分か
ら、恋する自由を奪うことで、罪の意識から逃れよう」として
いるのでしょうか。
気ままな行動で私を翻弄しても、無意識の思い込みで自分を抑
制して、そこから生まれる宿命感に嘆いているもう一人の彼がいる。
そんな彼が、いろんな思い込みから解放される経験を持ったば
かりの自分の前に再び現れたのは、これまたタイムリーなこと
だったのかも知れません。
相変わらず頑固で、言い出したら聞かない彼。
でも彼の本心は、朝の通勤ラッシュの駅で別れるときにバツが
悪そうに上目遣いで、それでも精一杯の気持ちを込めてしてく
れたキスの中に込められていたと思い出されます。
「今は何も約束は出来ない。ゴメン。でも、愛してる。」
これは彼の無言のつぶやきです。
実際に、「もう、しばらくは誰とも付き合えないと思う。」と
彼は言っていました。
「将来のことも、恋愛も、両方取って最高の幸せを手にすれば
良いのに。」「なぜやせ我慢をすることで、一生懸命生きてい
る確信を得ようとするのか。」
「約束もないまま、彼への想いを抱いて置いて行かれる私は、
また生殺しにされるのか。」
それでも、雁字搦めの固い頭の彼が、面倒くさくて嫌だとは思
いませんでした。
この抑圧が、いつか解放されたときに喜びに変わって、彼に自
由になった嬉しさを教えてくれる。
私は、彼にもいつか必ず訪れるそのときが、とても楽しみなの
です。
そしてそういう彼だからこそ、私はこれからも頼まれてもいな
いおせっかいを焼いて、もし彼にひじ鉄を食らっても、性懲り
もなく諦めないのだと、どこかで私も彼も分かっているのです。
遠距離の片思いになってしまった彼とは、11月に彼が育った故
郷であるメキシコで、また会うことになっています。
近頃の私は、自由になって感情表現が豊かになって、時々勇み
足で自分でもギョッとする行動に出ることが多くなっています。
仕事仲間とのやり取りの中で、相手に対する不満を口にすると、
エスカレートして容赦なく怒って、後になって後悔して、今度
は「ごめんね~」と気を遣って気持ち悪いくらい優しくしたり。
得意先の会社の女性に、電話でエッチな冗談を言ってからかっ
てから、後で失礼じゃなかったか!? とヒヤッとしたり。
最近の私は、かなり早とちりで、おっちょこちょいです。
でも、残酷な自分の後には、必ず優しく愛情豊かな自分が出て
くるし、悪ふざけの後には、誠実さをアピールする自分が却っ
て際立つ。
間違ってこそ訂正のチャンス。 でも、間違うことがなかった
ら、多分何も起こらない、淋しく退屈な毎日になってしまうの
ではないのでしょうか。
1年前の私は、ブレのない統制が取れた人間になってゆくこと
が、人生修養を積んだ人間の向う方向であり、私自身もセラピ
ーに通うことでそういう自分になってゆくのかと想像していました。
でも、今見えている理想は、それとは全く逆だと言えます。
間違いは訂正のためにだけ存在するのではなく、訂正のために
も間違いは存在する。
”だから、間違いがあってこそ豊かな人生。
”
それに、人の想いって、全てこの間違いと訂正の往復を通して
のみ、相手に伝わってゆくものだと思うのです。
最近の私には、あっさり間違ってチャッカリ訂正する経験が度
々重なっていて、今それに段々慣れて、出てくるままの自分を
上手に乗りこなそうと練習している真最中です。
この度、こうしてセラピー体験記を書かせていただき、私にと
ってのセラピーは、忘れていた人生の豊かさを思い出させてく
れる、とても貴重な体験の積み重ねだったと、一年の軌跡を感
慨深く振り返る機会を得ました。
このような私的な事柄を、膨大な文字数で書くことに決めたの
は、私の経験が、同じように自分本来の生き方を探している方
々の参考になれば嬉しいと思ったからで、その為には当時の状
況を思い残すことなく書き切って提供するのが一番だと感じた
からです。
自分が幸せになることと、全ての人の幸せはリンクしていて、
決してたがうことはありません。
すべての人が、憚ることなく、ご自分を幸せにする道を選んで
ゆくことを心から願って、私のセラピー体験記を終えることに
します。
2007年9月15日
HIRO
:::::::::::::::
稲本より。
hiroさんは、ある時『あの~。こうやってセラピーを受けてゆくと、色んなことを悟って、感情的に怒ったり、世間一般の人とは違う崇高な人になってゆくのかと思ってたんですが、ぜ~んぜん正反対なんですね~!』 と語った時がありました。
その通り。
これは世間に蔓延している偏見でしかなく、本当に自分を良く知り、理解し、気付いてゆくと、『どんな自分も、ただ自分の中に居る。 それだけで良いんだ!』と気付いてゆく。
悟った人、分かってる人ほど、傍目にはとても普通の、でも良い感じの人になってゆくものなのです。
心の中にあるものを、話せば放すほど、「あ、そう言えば・・・」と、更にその奥の気付きが自然に起きてゆく。 そうやって、心の奥にあった様々なものが、自然に解けてゆき、ごく自然にほぐれてゆく。
そして、バラバラだったジグゾーパズルの1ピース、1ピースが繋がり合ってゆき、自分という人、人生という大きなタペストリーが織り上がってゆく。
その中で、自分の男性性と女性性を癒し、育て直してゆき、女性性が豊かになったら、次に本来の男性性が発芽・成長して1サイクルが終え、さらにその先へ、
気が付いたら理想的な、心豊かな人に成長してゆく。
ヒプノセラピー
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