人は何のために産まれ、生き、死に、また生まれてくるの?
私たちは、本来、魂であり、意識体という存在。
創造の源からやって来て、この現実世界での様々な体験を通して成長・進化してゆきながら、やがて源へと戻ってゆく。
すべてを越えてゆける、素晴らしいエネルギーを持ってます。
思考は、自分ではありません。
肉体は自分自身ではありません。
それらはこの現実世界を生きてゆく乗り物や道具でしか無いのです。
だから、今世で死んだら終わりでは、ありません。
魂は、【健全な好奇心】という永遠の存在。
死んだ後、しばしの休息を楽しんで、また、新しい肉体を得て、生まれ変わります。
そして、体験したことは、次のあなたへ…と
受け継がれていきます
死んだら、肉体は、物質の塊に戻り、心は、細やかなエネルギー体の状態になります。
人は、そうやって何度も何度も転生を繰り返しながら、新たな学びを体験しながら、成長していくのです。
この魂という意識エネルギーは、何回も生死を繰り返し、積み重ねられたカルマ(これまでの思考や行動の結果)による記憶の質があり、低次元のエネルギーは重く、高次元のエネルギーは、軽やかで清浄です。
高いエネルギーは、愛に満ち、穏やかですが
低いエネルギーは、欲にまみれ混乱し、とても苦しいのです
そして、「類は、友を呼ぶ」というように、
エネルギーは、同じレベルのエネルギーに引き寄せられる性質があります。
生前、「自分がいったい誰であるのか」ということの真理に出会い、魂の修行を積んでいった人は、魂を覆う、心とカルマの曇りが清められ、エネルギー的に高い次元に引き上げられます
マインド(心)を楽しませることが幸福だと勘違いして、
その為に多くの労力や時間を費やして、本当の魂の自分を知ること無く、無知のまま一生を終えてしまっています。
魂が真の成長をしないまま死んでしまうと、
相応のクオリティのエネルギーのところへ行ってしまいます
ようは
重く苦しいエネルギーの世界
怒りや悲しみ、イライラ、不安などの感情を溜め込んで、他者を責めたり、自己卑下したり、負の体験を蓄積して死ぬのは、ストレスのゴミ箱を抱えて死ぬようなもので、低いエネルギーの世界へと落ちてしまうのです
一度、落ちた低いエネルギーの魂は、なかなか生まれ変わることができません
生前から、少しでも、魂を高い次元に繋がるように、心を清めることが大切です
自分の中にある感情を知ることが重要で良いこと、悪いこと、関係なくただ自分の感情を知る
その感情があることを知らなければ、浄化することができません
自分の感情に、気づく
すると、自分の中にある様々な思い込みや感情に気づくようになります。
エゴに巻き込まれないように、浄化や高次元のエネルギーに繋がっての、相応の修行が必要です
気づきをしているうちに、その日の夜、もしくは、何日か経って、そういえば…と、気づく瞬間が生まれてくるようになります
他人に引き出してもらうことで、
「これからも、修行しなくちゃならないんだな」と気づくことができて、それが浄化の一歩に繋がります
そんな風に思ってしまった未熟な自分自身を認め、許し、相手を受けて、それが、浄化し、成長し、学ぶチャンスです
後、悪口や嫌なことをされたら、相手に
「学びの機会」をありがとうと、この人たちにいつか、気づきますように…と感謝と祈りを送ってあげましょう
あなたが、高い次元の成長を遂げれば、あなたと同じレベルにある人たちが、自然に集まってくるようになります
そうなれば、
あなたを中心に、誰も裁かない、愛と気づきの心地よい人間関係が広がっていくでしょう
感謝のエネルギーを出す
私たちが、何か感じたり、思いついたり、考えたりすることは、波動を持っています
波動とは、生命体がはなつ、エネルギーのこと。
私たちは、目に見えない電波のようなエネルギーを放っています
波動には、純粋な波動、活動的な波動、重い波動と、カルマやマインド(心)の状態によって違うのです
悪口ばっかり、ずるがしこかつたり、意地悪だったり 人をだましたり、全て波動に記憶されます
心が浄化され、さらに意識が進化して、真の成長をしていくと、自分が純粋な存在に近づき、神様からたくさんのご恩、お恵みを頂いていることがわかってきます
生かされていること、自分を磨く場所が与えられていること、いかに尊いことか
そして、目の前にあらゆる人たちとの出会い、物事の出会い、環境との出会いが、どれほど、重要なもなのか
感謝とは、愛することなのです