Yさん。29歳 女性

『稲本さんと初めてお会いしたのは3年前、2007年の9月です。

3年前、私は「生きづらさ」を感じセラピーなどを受け、
親とは物理的な距離をとらなくてはいけないことが分か
り、地方から東京に出ていました。
姉と一緒に出てきており、最初に稲本さんのセラピーを
受けたのは姉でした。

当時住んでいたところは大人数のシェアハウスで、姉と
共同部屋でした。

今とは違いあまりきれいな所でなく、狭いところでした
ので、いつも他人の気配を気にしたり、生活のリズムの
違う姉を気遣い身を硬くしていました。

仕事も身体を動かすようなものではなく、帰る部屋はリ
ラックスとは程遠く、身体はガチガチで朝起きた途端に
足が浮腫んで痛い、などつつくと割れそうな程柔軟さを
失っていました。

そんな時に姉が稲本さんのもとに行き、リラックスして
帰ってきた姿をみて羨ましく思っていました。

以前受けたカウンセリングの先生との相性が良くなかっ
たので、スフィアのHPを疑いながらみたのですが、体験
談を読んで涙が止まりませんでした。

「ここに今すぐ行きたい!」

そうして、稲本さんの元に辿り着きました。

稲本さんは優しく話を聞いてくれて初めから私は泣き通
しだったと思います。

当時、本当に納得して東京に来ていたわけではなかった
私は、東京の街に居ましたが、頭の中でいつも地元の道
や海の映像を見ていましたし、何かやり残したことがあ
る、と言う感覚に常に襲われていました。

そんな心の葛藤を全て聴いてもらい、身体をほぐしても
らいました。(帰ると姉には顔が違うと言われました。)

今までこんなにも私の話を聞いてくれる人が居ただろうか?
ああ、思ったままにしゃべっても良かったんだ。

そんな気持ちで胸がいっぱいになりました。
今書いていても思い出して涙が出そうです。

稲本さんに「心の声に従った方がいいよ」とアドバイス
してもらい、帰ることを決意しました。

帰ったのはいいけれど、仕事を辞めたことも、もう東京
に帰るつもりがないことも親に言えず焦りを抱える毎日
でした。

地元に居た時も仕事を辞めた後、父・弟に殺されそうに
なったので言い出すにはかなりの勇気がいりました。
それでも日々は過ぎていく、でも言いたくない。

悩んだ挙句稲本さんに相談しました。
もちろん、素直に話したほうがいいとアドバイスをされ
たのですが、プライドの高い私は自分の失敗(当時はそ
う思っていたので)を報告することが出来ずにいました。

そこで思いついたのは家から出ることでした。
「そうだ、リゾートバイトをしよう!」

姉は東京へ行く前にリゾートバイトで半年間お金を貯め
ました。
それを「成功」したと思っていた私は、自分も姉と同じ
ことをすれば上手くいくと思い込んでいました。

でも、本当は凄く嫌でした。けれど、その方法で実際に
上手くやった人を間近で見ていたし、他の方法を全く思
いつかなかったのです。

なぜか、「リゾートバイトさえすれば上手くいく」と思
い込み、心は全く欲していないにも関わらず、気が進ま
ないのに「準備さえしてしまえばそのように動く」とど
こかで読んだ自己啓発の本の一文を自分に言い聞かせて
準備をしました。

出発の日から雨…

この「気が進まない」が全く持って私の未来を暗示して
いました。

辿り着いたそのホテルで私はとんでもない目にあうこと
になったのです。

初日の開始5分に仲居さんに怒鳴られました。
とんでもない所に来てしまった…と。
タイムテーブルはなし、もちろんお休みもいつか分から
ない、タダ働きをさせられる。

派遣会社に伝えると「あんたチクッたね!」と仲居頭に
呼び出して怒られる。

その後も仲居頭を始めとする女性陣のとんでも話(伝説
と私は言ってましたが)が出てくる、出てくる…

夜逃げした派遣仲間もいました。しかも2人も。
あまりの環境に朝目が覚めるのが恐ろしく、夜は、眠っ
て朝が来るのが嫌で毎日泣いていました。

友人に電話をして聞いてもらっていました。
泣きながら電話をしていると横に鹿がくる。
もうそんなことも嫌になっていて「鹿が来る~」とわけ
の分からないことにも泣いていました。

でも、「辞めな」とは言ってくれない。
それはあなたが超えなきゃいけない試練だよ、といわれ
ました。

確かに親にはあれだけの啖呵を切って家を出たけど、
これ、本当に超えなきゃいけない試練なの??

こんなにおかしなことが周りで起こっているのに誰も
「おかしい」と言ってくれない。

もしかして私の方がおかしいんじゃないのか?
あまりのことにパニックになっていました。

そこで、決死の覚悟で稲本さんに電話をしました。

稲本さんだけ、この状況を「おかしい」と言って一緒に
怒ってくれました。

それは「私は間違っていなかったんだ!」と自分を取り
戻した瞬間でした。
(間違いだとか正解だとか思うのは私の生い立ちが関係
しているのですが)

稲本さんが「もう電話しないで」と言うまで、この人に
甘えよう!!と思ったのはこの時からだったと思います。

親にも姉弟にも甘えたことのない私にとって大きなかけ
だったと、今では思います。

酷い職場でしたが、いいことももちろんありました。
派遣仲間のうちの1人と仲良くなり、彼女には色々と教え
られたことがありましたし、今でも親交があります。

その彼女に「あなたには人を変える力があるよね」とい
われたことが今でも印象に残っています。
けれど、それに気付くのはもう少し後になります。
今、その言葉の意味を実感しているところです。

最後の最後まで仲居さんたちにいじめられましたが、
無事に魔のホテルからの脱出に成功しました。

魔のホテルには滞在1ヶ月。
体重5kg減というお土産を持って家に帰った私は、過酷
体験を切々と母親に話していました。

こういう条件付でないと親に甘えられないのは何とも切
ないですが、あのホテルでの一件で、私は家での居場所
を確保することができました。


ホテルでの体験は日常のありふれた出来事がどれだけ大
事かを痛感させられる貴重なものでした。
私には帰ったら絶対にするぞ!と心に決めていたことが
ありました。

それは、「ハリーポッター」を観に行くことです。
そんな些細なことも実現できないと思ってしまうほど、
あの職場は異常なものでした。

体力を消耗しきった身体で映画館で観るハリーポッター
に感動しました。

クライマックスで闇の魔法使いに取り込まれそうになっ
たハリーに、校長先生が言った「違いを考えろ」のセリ
フに涙が止まりませんでした。

まるで自分のことのようで。あの従業員・仲居たちと自
分の違い、それが私にあのホテルを脱出させる原動力に
なったのだと思います。

この“違いを考えるクセ”は今もあります。
何かが違う気がする、では自分はどうしていきたいのか?

常に考えていることのひとつです。


「やりたいことをやろう」そう思わせてくれたのはあの
ホテルのおかげです。
稲本さんにもやってごらんと背中を押され、あるワーク
ショップに行きました。

革を使ったワークショップだったのですが、先生が素敵
で!
大阪から来られていた方で、色々と考えた結果、大阪に
会いに行こう!と決めました。

そこでまずはお金を稼ごうと思い、新たな職場へと足を
踏み入れます。

新しい職場はホテルとは打って変わって男性の多い職場
でした。

そんな中で私はビクビクしている自分に気がつきました。
「何で、誰も私のこと怒らないんだろう?」

自分はいつ怒られるのか、怒られることを待ち望んでい
る自分が居ました。

気がついたときは「私、何てMっ子なんだ…」と愕然と
しました。

そして、気がついたことを1つずつ紐解いていくことに
しました。

私は幼いころ頃からよく父親に殴られていました。
父は見た目は優しく、誰が見ても子どもに手をあげるよ
うな人には見えませんでした。

気分・機嫌で殴っていたので、私は注意のしようがなく、
いつ殴られるか分からない恐怖と緊張の中で暮らしてい
ました。

だから、「男性=怒る、もしくは殴る」の図式が勝手に
出来上がっていました。

職場の男性は優しく、上司もとても優しい人なのに何で
こんな風に思ってしまうんだろう??と罪悪感を抱いて
いましたが、カラクリはこんな簡単なことでした。

この職場である男性が気になりました。
始めは怒っているように見えてとても苦手だったのです
が、1度意識すると気になって仕方がありませんでした。
気になる人の近くに居てドキドキしたり、彼の一言で喜
んだり落ち込んだり。

恋愛ってなんて素晴らしいものなんだろう。こんなに素
敵なことなのに、私は当たり触らず、まるで無いものの
よう扱ってきました。

それに気がついた時には悔しくて悔しくて仕事中にも関
わらず涙が止まりませんでした。

そして、稲本さんに泣きながら電話をしました。
「どうしたの?何で泣いているの?」と聞かれ涙が後から
後から流れてきました。

「恋愛って素晴らしいものなのに、避けてきたなんて…」
あたしは何をしてきたんだろう?傷つかないように無難
に生きてきただけなんじゃないのか?色んな想いが胸の
中で渦巻いていたけれど出てきた言葉は一言。

「悔しい。」

「言うと思ったよ、そう思うだろうと思ってた」

「今気がついたんだから、これからは沢山味わっていけ
ばいいよ」

そう言われてずいぶんと心を落ち着かせることが出来ました。


今考えると「好き」とは違っていたのかもしれません。
しかし、当時は気になって気になって仕方ありませんで
した。
彼の中に自分に似た部分をみていました。
それで、彼のことを分かった気になっていました。
もしかしたら実際には分かっていたのかもしれません。
どちらにしても彼の中にある「可能性」をみていたこと
は確かだと思います。

けれども、その「可能性」を引き出すことは私には叶わ
ないことでした。

彼とのやりとりを通し、この時期の私はスポンジが水を
吸い上げるように多くを吸収したように思います。

その度に「親」である稲本さんに確認の電話やメールを
していました。

自分に全く自信がなかったのだと思います。

何か1つ出来事が起こる度に「この選択肢でいいのか?
この選択は正しいのか?」を人に聞かないと先に進めな
い程私は臆病者でした。

今はずいぶんと堂々としてますよね?

この時の気づきは私にとってはとても大きなものでした。
が、それと同時に『パートナーを作ること』自体への執
着も育ててしまっていました。

次の職場では今までのことが嘘だったかのように周りの
人達が穏やかで驚きました。

今までの職場は人を疑うのが前提でドロドロとしていて
精神衛生上よくない所でした。

いや、そう言った場所が社会であり世間であると教え込
まれてきました。

あまりに穏やかで…
周りに現れるものが自分の鏡なのだとしたら、私もずい
ぶんと落ち着いたものだな。と。
思えるようになりました。


私にはずっとクセがありました。
それは「これだけやれば結果が出るだろう」と思い込む
クセです。

勉強をしたら必ず受験に合格するだろう。という思い込
みと一緒です。

人生なにが起きるか分からないし、やったらやっただけ
の結果が出るとは頭の中で考えたただの思い込みです。

しかし、この思想はかなり根強く私の中に染み付いてい
ました。
このことでは稲本さんにかなりご迷惑をおかけしたと思
います。

これさえクリアすれば彼氏が出来るかもしれない!と人
に聞いては試して、人に聞いては試して…

あれこれと課題をこなしてゆく私。
それでもパートナーは現れない。

「何でですか?私、他に何をしたら彼氏が出来るんです
か?!」とかなり困った質問を繰り返ししていました。

スピリチュアルな本・自己啓発の本・友人のアドバイス
通りにやってみるなどなど…

あれが足りない、これがまだ出来ていない、まだまだ―――
課題をこなしてこなしてこなして―――
それでも状況は動かない。

それもそのはずです。
頭で考えて、頭で解決して、頭の中だけで物事を行って
いたからです。

こうして書くと課題をこなすのが良くなかったかのよう
に思われますが、沢山読んだ本から得たこともあります。

それは、多くの方法の中から「自分に合った方法を見つ
ける」ことです。

リゾートバイトでも学んだことですが、「人と同じこと
をしてもそれが自分に合っているとは限らない」という
ことをさらに身を持って実感することが出来ました。
姉が上手くいったから、私も上手くいく。何てことは有
り得ません。
もしかしたら有るかもしれませんが、それは稀だと思います。


親や親戚、社会、世間

私は自分で作った価値観ではなく、人が作った価値観に
基準を置き、それに合わせようと必死で、その型に合わ
ないと悩んでいたのです。


自分が欲しい幸せではなく、人が作った理想の幸せに自
分を押し込めようと必死にもがいていたのでした。
(ここの理想の幸せとは両親の持っている「理想」だっ
たと思います。)
それだけ自分には『自由を与えないように』
             訓練してきたのです。


課題をこなす中で、嫌でも自分と向き合わなくてはなら
かったことが幸いして、私にある転機が訪れます。

理想の幸せにはまろうとしない私と両親の間でちょっと
したケンカが起こりました。

親の理想の幸せに沿うことは出来ない私。
その事に対して酷い言葉で私を責める両親。

家に居ても自分を無駄に傷つけることになると気付き、
家を出ることにしました。


家を出てから、また沢山の気付きがありました。

自分はいかに親の思考を自分のものだと思い込み生きて
きたのかに改めて気がつきました。
それに気付く決定的瞬間があったのです。

1人暮らしを始めてすぐに『不安』に捕りつかれていた
私に、稲本さんから「頭で思ったことを全部紙にかいて
ごらん」とアドバイスを貰いました。

実際に書き始めると自分はこんなにも頭で会話をしてい
るのか!と驚きました。

頭での会話に手が追いつかないのです。
これでは、「楽しみ」を考える「余裕」ができるわけあ
りません。

この紙に書く、アウトプット作業をしている間に、ちょ
うど実家に帰る用事がありました。

家で母親の動きを目で追っていたときにふと
「あれ?私の手の動きと母親の動き一緒じゃない…??」
と思ったのです。

そうです、私の抱えている『不安』と母親の抱えている
『不安』は一緒だったのです。

(不安自体はいろんな要素が絡み合っているのでここで
書くと大変なことになりますので、省略させていただき
ます。)

ここで重要なのは私の頭で行われている会話は私のもの
ではない、ということです。
母親を通した私の会話であって、私はそこに存在してい
なかったのです。

また、自分の感情が浮かんでもすぐに「それは違う」と
否定をしてしまっていました。

「それは違う」すなわち「母はそう考えていない」です。
基準が自分でなく母を始めとする周りの人や社会、常識
になっていたことが、今になって分かります。

このことがきっかけになり、今は頭での会話はずいぶん
と軽やかなものになりました。

以前は楽しいなと思った瞬間に「いや、これだけのこと
は喜びとは言わない」と楽しんだ感覚を即座に殺しなが
ら生きてきました。

でも、それは違うな。と今ははっきりと言えます。
風が吹いて、気持ちいいなと思ったのなら、思いっきり
その気持ちよさを味わえばいいんです。

楽しいな、と思えば存分にそれを味わえばいいんです。

こんな簡単なことなのに、私の中にはずいぶんと沢山の
「ダメ」があって感じないようにしてきました。

とても勿体無いことです。
喜びはいつでも私たちの中にあるのに。

毎日沢山の気付きがあって、沢山の驚きがあって悲しみ
があったり、喜びがあったり。

いろんなことを含めて、人生とは喜びに満ち溢れている
んじゃないか?とやっと思えるようになりました。

今は成長していると言うよりもむしろ元々の自分に返っ
ているような気がします。

自分の身を守るために身につけてきた観念・習慣を脱ぎ
捨てている最中です。

自分を振り返ると「ずいぶんといらないものを背負い込
んでいたな…」と、自分でも驚いています。

しかし、それがなくては生きていけなかったこともまた
事実です。

辛く、苦しい時期もありましたが、稲本さんに助けて頂
いて私は今ココに居るのだと思います。

私には夢があります。
それは家族を持つことです。
私の両親は結婚をして子どもができる、その『形』が
「家族」だと思っているのだろうと思います。

それは別に間違いではないし、正解でもないと思います。
人にはそれぞれの想いがあるでしょうから。

ただ、私が欲しいのはその「家族」ではありません。
言いたいことも言えず、思ったことも即座に否定しなく
ては自分の居場所がないなんて、そんな悲しい関係の中
で生きていきたくありません。

ましてや、子どもにはそんな中で育って欲しくありません。
子どもにはのびのびと育ってもらいたい。自分を否定する
ようなことなく自然な姿で、思いっきり楽しんで、人生を
謳歌してもらいたいのです。

これからどんな人と出会うかは分かりません。
私は一緒に「家族」を作ってくれる人とこれから先、歩ん
で生きたい。

心許せる仲間と過ごして生きたい。
今までに味わうことの出来なかった「信頼」であったり
「安心感」を人と人との関わりの中から感じて生きてい
きたいと思っています。

今回こうして自分を振り返る機会をくださり、ありがとう
ございます。

短い期間に起こった自分自身の変化と頑張りに拍手を送り
たいです(笑)

そして、稲本さんに心からの感謝を。

これからの私に期待しつつ終わりとさせていただきます。
ありがとうございました。』


親の影響を癒し、自立と覚醒を促す ヒプノセラピー


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