パラダイムシフト

今というこの時代は、大きな大きなパラダイムシフトのまっただ中。

パラダイムとは、考え方・生き方・感じ方の元になっている社会の固定観念や、
一人一人の考え方や感じ方のベース。

そんな感じ方や考え方の元が大きく変わってゆく事を【パラダイムシフト】と言います。


だから、今は様々な考え方、様々な価値感の人が混ざりあっている。

昭和的な親の価値感をそのまま受け取って、
古い昭和の男性優位な観念に凝り固まって、頑固に苦しく生きてる若い人もいます。

反対に、世の中の変化を敏感に感じ取って、柔軟な思考・価値感になっていった親や教師に育てられてきた方は、
多様な価値感や柔軟な考え方で、とても自由に生きています。

親が古い価値観で、頑固で頭が硬かったけれど、自分の心の中ではひそかに ❝自分の価値感・自分の感性❞ を育ててきた人もいます。


昔に比べて、考え方や価値感はとっても多様になったけれど、

それを単に『人は人それぞれ』なんて安易に解釈していたら、今の世の中の大きな変化が何なのか分からなくて、

それだと、人との対立や孤立、精神的な不安や葛藤が増してゆくかもしれません。


単に「人それぞれ」では無いのです。

20世紀までは、何とか通用した『努力・頑張り・成長・・・』が通用しなくなってゆき、

20世紀型の古い考え方の会社や組織が、どんどん機能不全に陥ってゆき、

『もう、会社や世間が言うことなんか聴いてられない!』
『もう、人がどう思うか?なんてこと氣にしてられない!』
『何だか心の奥で、そう生きざるを得ない何かが抑えられない!』

・・・とブチ切れる人が増えてゆき、

『で、私は何がしたいのか?』
『自分は何のために生まれてきたのか?』
『もう、自分が本当にしたいことしか出来ない!』

という事実に否応なく気付かされ、

人が人らしく。
本来の自分らしく。

『心と体が、Heartが、魂が、
 本当に喜ぶことのためにしか生きられない!』

・・・という人が眼を覚まし始めている。

もう、そうゆうふうにしか生きられない事に
気付いてゆく人、悟ってゆく人が、
どんどん増えてきている。

正に、スピリチュアルな世界で言う
 『ワクワクする生き方』しか無いし、
この変化は、これからもっともっと加速してゆくでしょう。


でも、

『心からワクワクする事。』

そんな生き方は、頭で考えることで出来ることではありません。

頭で考え始めた瞬間に、それは心がワクワクすることでは無くなってしまうのです。

それは、心
それは五感
それはHeart
体の感覚 感性
直感やインスピレーションで感じて動く、
❝感じて動く生き方❞

感じて動き、そこで起きること、
そこで出逢った結果を見て、『あ、これってそうゆうことだったのね!』と、最後に解る。

そんな体感で感じた感覚的『上手くゆく感じ』や
『あ、これいい感じ!』こそが確かになってゆく。

で、思考で考えた瞬間に、いい波長が途絶えちゃう。

そんな繰り返しで、より『考えない方が上手くゆく!』
『考えは後。考えなくっても良いぐらい。』
って感覚が、どんどんうまくなってゆく。

『そんなの難しい』って?

でも、それは子供の頃は、誰もがやっていたこと。

だから、インナーチャイルドが癒えていった人は、自然に出来ちゃうことだし。

人が、本来の自分らしく、自然に生きていれば、当たり前の在り方。

これが地球全体で起きていて、それに合せて人々が自然な在り方に気付いてゆくことを、スピリチュアルな分野ではアセンションとか表現しているんでしょう。

でも、これってもうどんどん進行しているリアルな現実ですし、
この変化に合わせられない企業や社会の仕組みは、どんどん機能不全に落ちいっている。


他のページで、「幻の書、朗読コーナー」というリンクを貼っているけれど、
この大きな変化は、もう80年代からとっくに始まっていた事なのですけれど、
その頃は、敏感な人しか気付いていなかった。

でも、それが311以来、どんどん加速してきている。

それに、頭(思考・観念)中心の、『不足や無くなる恐れ』を元にした生き方って、

今までの世の中であっても、
どう頑張ったって、どこまでも不足を視て、
どこまでも『努力だ!我慢だ!』って、【今あるもの】を認めない。⇨無限に不足を追いかける生き方ですし、

今を認めない思考観念の生き方自体が、
『愛されなきゃ。』『確保しなきゃ!』『所有・支配・管理・統治しなきゃ!』『将来のために』『老後のために!』って、人生を墓場にしてしまう生き方だったのですもの。

そんな愚かな社会システムが、ゆっくりと、どんどん崩れ去ってゆき、

所有しようとしないから、いつでも与えられる。

不足を満たそうとしないから、必要な時にはいつでも満たされる。

『あ!』と感じたら、動いて、そうしたら調度良くなる。

すべてが必然で、必然だから、すべてが成るようになっていて。

自分の中で、ふと思った時に、自分の外で丁度出逢って、

今までも、そうなってゆく人達を沢山見守ってきたけど、

それはまさに、怖れなどという最も愚かなものを捨てた生き方。

怖れを捨てた分、当たり前に上手くゆく在り方。

そうなってゆく人って、もの凄く柔らかい笑顔になってゆく。

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それは、好む、好まないに関わらず、

 そうなってゆくのだと思います。