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HIROさん 41歳
HIROさんは、体の大きな男性。
いや実際にはそんなに「大きな」って言うほどでは無かったのかも知れない。
でも、初めてお会いした時からどこか「大〜きな印象」があった事を良く覚えています。
本来のHIROさんは、とても豊かで大きなハートを持った人。
でも、その時は何故か困惑した様な、特に眼から額の辺りには
まるで仮面舞踏会で顔の上半分を隠すマスクを着けている様な・・・
そのために自分に自信が無いような・・・
でもHIROさんは沢山話す(話す=放す・離す)という事で
まるで蛹が蝶へと羽化してゆくように、大〜〜きく変わって行った方。
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私と稲本先生の出会いは、2006年6月末のことでした。
インターネットのサーチエンジンを「ヒプノセラピー」で検索してみて、
いくつかのホームページを眺めながら、直感的に「ここ!」と決めたのです。
当時、私の身辺には、取り立てて問題と言える出来事は起きていませんでした。
むしろ「ここに行ってみよう!」が先で、後から「では何をどう相談しようか」が出てきた記憶があります。
その当時の私の境遇は、2004年に外国人のパートナーと始めた中古車輸出の仕事も軌道に乗り始めており、
一緒に暮らしている実家の家庭内もとりあえず平穏。
それでも何故セラピストを探すのか、その理由を自分ではハッキリ捉えてはいませんでした。
普通に考えれば自営業で食べてゆけるまでになったことをもっと評価して、現状を喜んでも良いはずなのに、心
の中を孤独感が占めていました。
孤独感の実体は、言いたくて言い切れていない想いが堆積した心の中の澱(おり)のようなものでした。
人に話してつまらない苦労自慢と思われるのが嫌だから、誰にも思いの丈を話すことは出来ず、かといってこの
先ずっと独りで抱えてゆくことも出来ないその思いは押し縮められ、どこかに出口を探していたのでしょう。
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実は私、稲本先生と出会う前にも、数人のスピリチュアルカウンセラーや霊能者(チャネラー)の下を梯子してお
り、それなりに納得のゆくアドバイスや、心温まるメッセージをもらっていたのです。
「あなたの前世は、アラブの崇高な宗教者ですよ。」と言われて誇りに感じてみたり、
「抑圧の多い家庭に育ったので何事にも自信が持てないんですよ。」と言われて、
「じゃあ、どうしろというのか?」憤慨し、後で落ち込んだり。
それらの断片的な情報は、私を自由にしてくれるよりも混乱させることが多く、
もういい加減、スピリチュアルなものに一時凌ぎの安息を求めるのはやめようかと感じ始めているところでした。
有難い話をいくら聞いたところで、自分の生き方が楽になることは決してなかったからです。
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私自身のことと取り巻く環境を少しお話します。
私は、寺の住職を父に持ち、長男として生まれ、幼い頃に離婚により母が家を出て行き、
祖母や叔母たちなど、たくさんの女性に囲まれ世話になって、その人間模様の中で育ちました。
子供の頃から、な〜んとなく寺を継ぎたくありませんでした。
正座をするのが嫌い、格好悪い、毎日朝早起きが辛そう、等、個々は大したことのない理由でした。
それは高校を出て19歳の頃、目前に差し迫った進路の問題を深刻に捉えたときに、
「あれもイヤ、これもやりたくない。」という抵抗となって表れ、惰性で進んでいた道に、突然行き止まりの標識が
立ちました。
嫌なものはいくらでも挙げられるのに、「何がやりたいのか」と聞かれると答えに窮してしまう。
どんなに考えても、何をしたいのかわからない。
とりあえず、仏教系の大学に入学をするものの、1年で退学。
毎日、悶々と悩みながらニートの生活を1年続ける間に、ナイターの区営プールで中東系の出稼ぎ労働者の人
達に出会い、急激に仲良くなって好奇心から付き合い始めました。
その後、就職、住まい、病気など、さまざまな問題を抱える彼らの生活の実態を知って、個人的にボランティア活
動を始め、どっぷりのめり込んでゆきました。
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というのは実は表面的な話で、同性愛者(物心ついて以来、好きになるのは男性ばかり)だった私の好みは、
中東系の彼らの風貌とピッタリだったので、彼らの中からお目当ての相手を見つけては、その人に好かれたい
が為にお節介を焼き、目立たないようにみんなにも平等に親切にしていただけのことでした。
そのうち彼らの中のお気に入りの一人と、肉体関係を伴う恋愛を初体験。
外国人と男同士の恋愛、 そしてセックス。
「これは普通の男がやることとは違う!」と感じながらも、どうしようもなく男同士の性にはまり込んでゆく自分は
「思っていた通りゲイなんだ」と自覚しました。
(危惧していたことが現実になった。世間にも家族にも顔向けできない自分になってしまったという感じ。)
彼らの生活に入り込んでいる唯一の日本人ということで人気の高かった私は、その後も付き合う相手には事欠
かず、別れては何人もの人と関係を持ったのですが、イスラム教徒の彼らは、いずれは国に帰り、多くの場合は
親が用意した縁談で、フツーに女性と結婚をする人達。
男同士の道ならぬ関係を持っても、それは魔が差しただけのこととして、全て消したい過去にされる。
そんな彼らとの恋愛は、刹那的で、先行きのない物悲しさが常に伴うものでした。
どんなに好きでも、最後には越えられない因習の壁にぶち当たり、壊れてしまう恋愛関係。
同性愛者であることは世間体が悪いだけでなく、徒労と消耗ばかりの恋愛には、どんなに耐え忍んでも未来の
幸福はない。
私の中には、次第に悲恋のパターンが染み付いてゆき、いつしか心が荒みました。
失恋の度、激しく落ち込んで、バイトを休むことも度重なり、無気力で灰色の精神状態。
結局、彼らとの付き合いは7年間続き、“愛のささやき” を伝えるために彼らの言語まで覚えてしまった私は、日
本にいながら海外で行く宛てのない放浪生活をするような毎日を送っていました。
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こんな私でも、いつかはキチンとした形で社会参加を果たさなければ。 「こんなんじゃマズい!」と段々焦りが出
てきて、不毛な男関係から足を洗い、彼らと距離を置くようになり、その頃になると、地元の100人くらいの彼ら
の狭いコミュニティーにはうわさが蔓延し、散々浮名を流して悪名高い存在になった私をまともな目で見る人な
どいなくなっていて、友達として仲間に入ることさえ難しくなっていました。
私は、半ば追放されたのです。(イスラム教では同性愛は絶対タブーとされている。が、実際は男色家が多い。)
ついでだったとはいえ、親身に接していた人達から嫌われたことは、当時の私にとってとても深い傷となりました
が、その悲しさと屈辱感を理解してくれる人は、身の回りに誰もいませんでした。
それで今度は汚名を返上するために、肉体関係なしで、とことん相手のために尽くすことに躍起になりました。
人伝に知り合った、無名で貧乏なアフリカ人の自称俳優に肩入れして、自分のお金と時間を全てつぎ込み、生
活の面倒を見てビザを取らせ、1年半経って、彼は立派に自立してゆきましたが、送り出す私に晴れがましい思
いはありませんでした。
やせ我慢をしてみても、つまるところ、私は彼のことが好きだったので、彼にチャンスを与えられえたことは嬉し
くても、日の目を見なかった愛情は無残に挫かれて、心には恨めしいほど不満が溜まり、一時は顔も見たくない
までに彼を遠ざけました。 気が付いたら一文無しどころか、借金まで抱えていた私。
もう自己犠牲はやめにしようと思っていたのに、その後、またもや中東系の超好みなタイプが目の前に現れまし
た。 その頃の私は、バイトを張り込んで借金も返済し、安定した生活を送っていました。 好きになったら底な
しの自分を知っているので、好きにならないように必死で予防線を張っていましたが、その後、偶然が重なりさ
らにその人と知り合うことになり、彼は顔だけでなく性格も良く、おまけに薄給でこき使われる不遇な環境にいる
ことを知り、予防線の堤防はあえなく決壊しました。
私は、彼の勤める中古車貿易の会社に潜入し、彼を助けることに決めたのです。
誰に頼またわけでもないこのプロジェクトは、成功することが全て。 失敗したら、彼を巻き込み、まわりに笑いも
のにされ、家族にも迷惑が掛かる。 それを分かっていながら、私は一世一代の大勝負に出たのです。
彼が働いている会社に雇用してもらい、働きながら1年がかりで経営のノウハウを盗み、申し合わせて古巣の
会社を脱出。 その後、独立して中古車輸出業を自営で始めました。 独立した後は、通訳をし身の回りの世
話も焼き、影のように寄り添ってわがままを言わない、よく出来た女房のような自分を演じました。
彼は同性には全く興味がなかったので、肉体関係ナシでの奉仕でした。
「身を粉にして心底尽くせば、きっといつか道を阻んでいた壁を乗り越え、結婚するとか、恋人同士ではなくても
、“永遠に大切な関係” にたどり着けるのではないか。」
何度失敗しても諦め切れないその夢に今度こそ決着を付けるつもりで、「これが最後の悪あがき」とばかりに食
い下がるのでした。
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ところが、人の気持ちは勝手なもの。 好きで背負い込んだ苦労も、時が経てば段々に重く、伊藤素子さんのよ
うにボロボロになって尽くしたつもりが、独立後、経営上のシビアな問題でやり合っているうちに、関係がギクシ
ャクしてきて、愛おしかったはずの彼との関係は、いがみ合いの多い、息苦しく気の重いものに変わってゆき、
そのうち二人の間には一触即発で不満が爆発しそうな陰険な雰囲気が常に充満するようになりました。
出来た人間を演じてやせ我慢をし続けたのに、結果的に際立ってくるのは、強情で欲求不満だらけのみすぼら
しい自分でした。
結婚をし、子供が出来て、仕事も調子が上がってきている世間的に順風満帆な彼を心から喜べない。
すねた自分を嫌悪しながら、口に出す言葉は皮肉とお世辞ばかり。
夫婦にも無二の親友にも負けない強固な愛で結ばれた関係が欲しかったのに、自分たちは普通の友達にも及
ばない、心の通わない仲に成り下がってしまった。
「いつからこんな関係に?こんなはずじゃなかったのに!」
「彼の幸せを喜べないのは、見返りに幸せにしてもらおうと期待しているだけで、自らの幸せを求めようとしない
依存症のせいだ。」
それに気づいた私は、もう、ノンケの男性への横恋慕はやめて、同じ境遇のゲイ同士、対等な関係で幸せにな
れる誰かを見つける!と心に決めたのです。
そうは言っても、ゲイの世界にはなじみがない、二丁目に行ったこともない “隠れゲイ” だった私は、おっかな
びっくり出会いの扉を開いてみてはみたものの、気後れして、雰囲気に圧倒されてばかり。 まずは付き合う相
手を探すだけでも大変な困難でした。
それ以前に、今までのべつ彼を構ってばかりいた私には、新しい関係に走って彼への関心が薄れること自体裏
切り行為に思えて、まるで子供への影響を慮りながら再婚を考えるシングルマザーの気持ちで悩んでいた私は、
出会いを得て、幸を感じるまでにはまだまだは程遠い距離にいたのです。
稲本先生の下を訪ねたのは、丁度、こんな時期でした。
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大変偏った内容の自己紹介になってしまいましたが、これでやっとスフィアに辿り着いた経緯を説明することが
出来ました。
そうなんです。
稲本先生に会って私はまず、この長い奇妙な経緯を、延々と、途切れなく、詳細に話し始めたのでした。
何の先入観も判断も加えないで、同化するように話に聞き入ってくれる稲本先生を前にすると、今まで一度もう
まく表現できなかった心の痛みの本質を詳らかに話すことが出来、さらに、その下のもっと深いところから「本当
の想い」みたいなものが掘り起こされて、自分の口を通じて外に出てゆくのを感じました。
喋りながら自分の言葉を自分で聞いていて涙が出てきたり、「そうなんだよ!ホントはそう思っていたんだよ!」
と忘れかけていた本心が甦り、チャネリングでは他人から語られた “私の魂の声” が、今度は自分の口から
深い実感を持って語られてゆくようでした。
それは発見と納得がぎゅっと詰まった、大変気持ちが良い時間で、さらにその体験を求める尽きない欲求に動
かされて、その後、私は何度もスフィアに足を運ぶことになったのです。
・・・ここからは、時間を追って私に起こった変化を思い出して書き出してみようと思います。
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2006年の夏頃 【習慣的なものの見方の後ろから見え始めた事実】
「面倒見が良い。 尽くすのが好き。」こう表現すれば美点ですが、同時にこれは苦労性で、何かしてあげないと
相手と普通に向かい合っていられない不幸なクセでもありました。
相手の欲しいものと、自分の気遣いが一致しているときは良くても、相手の喉が乾いているかどうかわからない
のに、無条件に水を差し出してしまう、苦労性の自分が常に幅を利かせているのです。
自分がどう見られているかが、とにかく気になっていて、相手の気持ちを観察する余裕がありませんでした。
この頃の私には、初めてのゲイのお相手がいました。
少し年上の、コロンビア人のスペイン語の先生でした。
その彼が、自分ではあまり好きでなかった私のちょっと太目のムッチリした体つきが好きだと言ってくれるので、
自分がどう思おうと、相手が好きならばそれで良いかな〜と、大らかなになれたのは、今までにない心の動き
でした。
まだ古い習慣を抜け出せないまでも、「待てよ、これは自分勝手な取り越し苦労ではないか?」と、思わぬとこ
ろに潜んでいる自分の思い込みを発見し、心配の連鎖を断ち切ってみようと試みていました。
それを相手がどう感じているか確認しながら、対等な関係ってこんなものなのかな、と模索している状態。
毎週日曜日に決まって会う、ホンワカとした、心地よいつきあいでしたが、キスをしても、体を合わせても、新し
い恋愛パターンに慣れなくて、不感症のように何も感じない私。
その度に、場を白けさせて申し訳ない気持ちでした。
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そんなことをしていたら、付き合いは徐々にフェードアウト。
時々メールや電話で話す友達に降格しました。
8月に顧客のいる、中古車の輸出先のドバイを訪れました。
ドバイにいるアラブ人の顧客とのやり取りは、今までになく手応えのある充実したもので、仕事がぐっと密着して
来ました。 それまで、ただ落ち度なく無難に仕事することばかりに気を取られ、緊張感とストレスが多い仕事を
して来ましたが、そこに楽しさが加わって、自分で築いた仕事のポジションが嬉しく思えるようになりましたが、一
方で仕事のパートナーは里帰りの帰国が長引いて、私は一人で、相変わらず彼のために義理で仕事している
感覚が拭い去れずにいました。
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2006年の秋〜冬 【未体験の状況が強制的に押し寄せる】
この時期は、劇的な変化が訪れました。
それらは内面ではなく、外からもたらされたものばかりでした。
どれも今までに体験したことのない状況なので、データがなく傾向対策が立てられなかったことが共通していま
した。
仕事のパートナーが、奥さんと子供と共に再来日した。
二人で運営してきた会社に、3人目が加わった。(パートナーの幼なじみの男性)
出会い系サイトで知り合った年下の男の子に、今まで感じたことがない強烈な愛情を抱いた。
お話したとおり私の恋愛感情から始まった仕事のパートナーとの関係。
もう既に嫉妬もやっかみも消えているとは感じていても、奥さんと子供との実生活を間近に見るのは初めてのこ
と。
家族に時間を多く割くようになる彼に対して、私はどんな感情を抱くのだろうか。 その不安を残したまま、現実
は訪れました。 初来日の家族のため、家庭生活偏重の行動を取った彼。 仕事の話もそこそこに、逃げるよう
に家に帰ってしまう態度にあきれながら、後を追って来日した幼なじみの友達のことも私のところに預けっぱな
し。 事態は混沌とし、何がどうなってゆくのか分からなくなりました。
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不安を消化するため、毎日彼に対する愚痴を並べ立てる私に、幼なじみの友人は、「これでも本当に友達なの
か?」と唖然とするばかりでしたが、彼は私とパートナーが、二人して育てる子供の役割を果たしてくれました。
面と向うと意見が対立するのに、彼を挟むと二人の役割分担は無駄なくスムースでした。
彼は昼間パートナーの相棒を務め、仕事を覚え、夕方からは事務所に戻って私と一緒に食事をしたり、世間話
をしたりして過ごし、上手に少しずつ “両親” を立てて育ててくれる親孝行息子でした。
幼少時を一緒に過ごしたパートナーと彼の世界は、大人になった今でも競い合い、自慢し合って、お互いを触発
する “野郎友達” の世界。 「俺は今日、ネットでこれだけ車を探したよ。 お前は?」と言い合って競う中でする
仕事は、まるで楽しいクラブ活動の世界。
先輩として彼を指導し、同僚として競い合って、パートナーはいきいきと自信を取り戻して行きました。
私は昼間一人で事務仕事をし、夕方から一緒に過ごす放課後担当。
一緒に食事をして、仕事で疲れたり、ホームシックにかかって落ち込む彼を誘って、気分転換の深夜のドライブ
に出かけるのは、実は私にとっても癒しの時間だったんだよ。(笑)
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混乱した事態の中にやっと一筋の光が見え始めた12月のある日、私をぎっくり腰の一撃が襲いました。
膝も痛く、歩くのがやっとの状態。 年末の忙しさの中、気になることは山ほどあるのに、何も出来ない状態にな
ってしまった私は、すべてを二人に任せ、傍観するしかない状況に置かれました。
「ああ、疲れた。自分ひとりで頑張るのは、もう疲れた・・・」
痛む足腰は、独りで負荷を支え続けることを断固拒否するように、無期の休養を求めています。
事務仕事が溜まり、師走でまわりの人達は忙しく動いているのに、ひたすら休止状態は続きました。
年が明け、松の内が終わるころには、腰の痛みもほぼ良くなっていました。
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8日の夜、いつものように惰性で出会い系サイトのチェックをしていると、自分のプロフィールを閲覧した人のリス
トの中に「おっ!」と目を引く顔がありました。
25歳の、ラテンと白人の混血アメリカ人で鼻ピアスをした男の子。 若くてファンキーな25歳と腰が痛い40歳の
オジサンとはどう考えても釣り合いが取れそうにないのに、勝手に手が動いて「こんにちは、チャットしませんか
?」と誘っていました。すると、向こうからも「すごくタイプです、チャットしましょう」と返事が来ました。
深夜に何時間も続いたチャット。 その当日、夜、新宿で会ってデートしました。
実際に会うと15歳の年の差なんて全く関係ないくらい会話が弾んで、二人は良い雰囲気でした。
彼は今までに出会ったことがないタイプの、賢く魅力的な、それでいて、話にとても共感できる部分が多い人で
した。
それで、すぐに意気投合して、初めてのデートで始めての夜を共に過ごすことになりました。
その晩は、今までの自分とは違って、相手の顔色よりも内側にある、彼の気持ちがずっとよく見えていました。
とてもピュアで、いろんなことを敏感に感じている彼の心。 そこから限りなく降り注いでくる、「好き!」という感
情のシャワー。 それを浴びて一晩過ごしたら、自分の中で何かの蓋が開いて、抑制のきかない感情が飛び出
してくるようでした。
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朝になっても二人とも離れたくなくて、それぞれの仕事場に着いてからも、またチャット。
チャットのカメラの窓で、ボーっと見詰め合っていたら、ふとある考えが閃きました。
『ああ、これが「愛してる」っていう気持ちだ!』
今まで感じたことがないのに、なぜか確信がある。
愛は相手の幸せを願うこと。 愛に上下の隔たりはない。 そんな定義などどうでも良い。
この感覚がすべてを言い表している。「ア・イ・シ・テ・ル」ってこういうことなんだ!
心の中は、ただどこまでも “好き” なだけで、自分にない何かを待っているからとか、自分より何かが優れてい
るから好きだという成分はなく、今までとは全く別パターンの愛情。
その気持ちを「愛してる」と言葉に出して伝えるだけで、宙に浮くほど嬉しくて、これ以外にはもう何も要らないと
さえ思えてしまう。
二人とも、すぐにまた会いたくて、4日後の夜に、池袋で2回目のデート。
ところが、その日を境に、彼の態度は徐々に不安定になってきて、1週間後に一方的に別れを切り出されました。
止めようとしても、彼の拒絶反応の発作は抑えようがなく、結局、私を突っぱねる強硬な態度になす術もなくな
り、仕方なく私は彼に「さようなら」を言いました。
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2007年1月から3月 【全部無駄じゃなかった!】
愛は幻だったのか。それとも、消えてなくなったのか。
どうしても消えないこの疑問。 別れた後も、彼のことがずっと忘れられなかった私。
「こんな風に誰かを好きになったのは初めて。 だから戻ってきておくれ!」 「友達でも良いから、連絡取れる
仲でいようよ!」 手を替え品を替えアプローチしても、彼は頑なに拒むだけ。 もう二度と彼の人生の中に私が
入る余地を与えてはくれません。
そのうちメールの返事も来なくなり、彼の姿が見られるのはブログの中でだけとなりました。
たった2週間の短い付き合いだったけど、お互いの心の中のことをたくさん語り合って、深い想いを知ってしまっ
た彼のことが気掛かりで、頻繁に更新される、写真がいっぱいのブログの中の彼をずっと追い続けていました。
途切れなく襲ってくる悲しみにあえぎながら、どうしても別れの真相が知りたくて25歳という年齢を必死に生きて
いる彼の姿にフォーカスを合わせると、少しずつそこからいろんなことがわかり始めてきたのです。
会えなくても、言葉を交わせなくなっても、あの時確認し合った愛はまだ生きている。
自分から別れておきながら、深く落ち込んでいる彼に、「ほら、元気出して!」と念じていると、何かの切っ掛け
で、彼に笑顔が戻る。 行き詰っている問題に悩む彼に、「こうすれば良いのに〜」と気を揉んでいると、「どこか
らともなくアイデアが浮かんで、こうすることに決めました」とブログに書き込みが加わる。
実際には途切れている二人の係わりは、目に見えないところでまだ続いているように見えるのでした。
3年間付き合って、3ヶ月同棲して、最後は激しく傷つけ合って別れた元彼のことをずっと引き摺っていた彼。
恨んだり、後悔したり、愛を信じたくても信じられない、揺れ動く25歳の心。
アメリカに戻って大学院で勉強する目的のため日本で仕事を始めたのに、目的を忘れ、道草をしている自分に
対する苛立ち。 不安を打ち消すように酔って悪ふざけをしたり、わざと変な顔で写真に写ってみたり。 けれど
、どんなことをやっても、あのとき私が感じていた純粋な光りを放つ彼の姿が、後ろに見え隠れしている。
頭で決めることと実際にやることがちぐはぐで、自分がよくわからなくなっては落ち込む彼。 そのたび私は、「ほら本
当のキミはちゃんとそこにいるよ!」と叫びたかったけれど、今、彼は声も届かない場所にいる。
そうやって、自分のことのように身近に25歳の彼の青春の姿を見ているうちに、自分にもあった25歳とか、それ
より前の回想が同時に進行してゆくのでした。
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今まで相手の成長を待たずに、助けの手を差し伸べてきた私の手は、縛られてしまって動かない状態。
だから、どんなに手出ししたくても、ただ黙って見ていることしか出来ない。
今、私はまるで体を持たない魂だけの存在になって、空の上から彼を見て、気を揉んでいることが精一杯の、
何の役にも立たない存在。 それでも何かが彼に向って流れ続けていて、その何かが目に見えない影響をお
互いに与え続けている。 小さく開かれたブログの窓からは、地上の出来事が、そんな風に見えたのです。
考えてみれば、過去に私が誰かに「何かをしてあげた」と大げさに考えていた行為だって、その人の長い人生
から見ればほんの些細な切っ掛けにしか過ぎなかった。 今までの私は、費やした時間や労力の見返りが得ら
れなかったことに心を痛めて人を恨んできたけれど、本当は係わりあって色々な切っ掛けを与え合うことに意味
があって、そういう恩恵ならもうたくさん自分に戻ってきているじゃないか。
・・・・幼稚園の昼食の時間に、母親代わりの叔母が苦心して作ってくれた三段重ねの弁当を開けた途端、涙が
溢れてきて食べられなくなった自分を思い出されてきました。 あのとき自分の中にあった想い。
『なぜ自分はこんなに世話を掛けなければ生きてゆけないのか。 こんなに苦労して弁当を作ってもらっても、
それは一瞬のうちに腹の中に消えてゆくだけ。
そのために、どうしてそんな痛々しい苦労をするのか。 そんな気持ちを掛けてもらったって、自分に出来ることな
ど何もないのに・・・』 そう考えると、ただただ悲しくて、切なくて、涙がこぼれて来るのです。
何も出来ない。 何もしてあげられない。
でも、本当は世界中の誰もが、人の好意を無駄にしながらも、土に還ったその残骸の養分に気づかぬうちに育
てられて、成長し続けている。
そういう行為を、意図することなく、お互いのためにやり合っている。
無駄がたくさん重なって、それがあるとき大事なものを形作り。
これぞと思いを込めてしたことの形が無残に壊れ、屍になり、養分になって、またその成長を支える。
愛は形を変えても、消えない。 ・・・だた、見えたり、見えなくなったりするだけ。
だから、何も悲しむことはない。 ・・・もう、自分が無駄になることを畏れる必要もない。
彼への尽きない想いは、その後も私の中でたくさんの過去回想を引き起こしてゆきました。
そうやって体験したのは、あの世に旅立って戻れない過去の清算をするときのように克明で詳細な回想で、も
う一度遠い過去の現場に戻って、再び自分の思い、相手の思いを改めて知ることの終わりのない繰り返しでし
た。
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父母のこと、家族のこと、子供のころの良い思い出、嫌な思い出、忘れられない恋の相手、泥沼の恋愛沙汰、
忘れたくても忘れられない恥ずかしい話。
傷つけた人、傷つけられた人・・・。 その都度、自分の気持ちになったり相手の気持ちになったり、彼と別れ
てからの2ヶ月は過去回想三昧の日々。
悲しくなくても、ひっきりなしに涙が流れてきて、いつになったら止まるのかと、その度泣き腫らす目の方が心配
になるほどでした。
結果として分かってきたのは、良い思い出も悪い思い出も、好きだった人も、憎んだ人も、それらはみな「なりた
い自分」に成長してゆくために必要な経験で不可欠なキャストだったということです。
親切に接し合った人も、皮肉に傷つけあった人も、それらはみなお互いの成長のために係わりあって育み合う
行為の様々な形であり、私たちは知らないうちに、お互いのために生きている。
もっと言えば、それを知るためにこの世に生まれてきたのだという、驚きの事実が段々に明らかになってゆきま
した。
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あの世に旅立ってしまったような精神状態の私は、その時期、仕事がほとんど手につかない状態にありました。
ドバイの顧客の子供が駄々をこねるようなクレームの電話にも、以前の私だったら泣く子あやすように対応して
いたのに、もうそんなことする気力は残っていません。
『延命措置など要らない。 仕事も人間関係も、やっと出会えた愛する人を失って落ち込んでいる自分自身も、ど
うせ死ぬなら、死んでしまえ!』
「なるようになれ!」とはこのときの自分のための言葉です。
会社経営は瀕死の状態。 しかし、このとき眠れる獅子のようだった仕事のパートナーが、危機を察知して、突
如として腰を上げたのです。 彼の成長は目を見張るもので、昔は抵抗ばかりしていて言うことを全然聞いてく
れなかったのに、いつの間に覚えたのかしっかりと仕事を掌握して、新入りの彼をしっかり指導して、逞しく動き
始めました。
普通ならば、「この大事に、何でお前は働かないんだよ!」と食って掛かられるところを、「具合はどう?」なんて
、二人に気を遣ってもらったりして、ちょっと前まで愚痴だらけだった私はちょっとした左団扇の状態。
きっと彼は働きたくなかったのではなくて、名誉挽回のために、カッコいいとこ見せたかったのです。
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可笑しなもので、手助けには応じなかったのに、情けない自分をさらした途端、彼は急にいいところを見せるよ
うになりました。 私は、ホントは「申し訳ない」と心苦しかった彼の気持ちに気づいていなかっただけなのです。
私の予てからの願いは、パートナーを成功者にすることでした。
気付きませんでしたが、彼の自立には、最終的に私という補助輪が余計だったのです。
でも、離せなかった手を止むを得ず離すことになったら、彼はもう立派に自立していました。
もっと早く手を離していればとも考えましたが、結論として、今はこう思います。
『手放さなかったから自立できなかったのではなく、やっとの思いで手放せたから、立派に自立できたのだと。』
だから、一度死んでみて良かったのです。
そうして見られたのは、「すべて無駄じゃなかった」が形になったような、世にも美しい光景だったからです。
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2007年3月 【わからないけど怖くない】
想像もしていなかった変化の波に飲み込まれながら、無事に生還した観があったこの頃の私には、今までにな
かった新しい考えがありました。
それは、考えて考えても思い通りにはならなかったのに、思いも寄らぬ突発的な変化に身を任せたら、一番望
んでいた結果が得られた。 ・・・ということは、「もう心配は無用なのだ!」という理屈を乗り超えた希望みたい
なものでした。
いろんな変化があった後のセラピーで、稲本先生に質問されて、私は自分の考えが根本から変わっていること
に気がつきました。
「いろんなことがありましたね。今年はこの先どんなことが起こるのか、想像できますか?」
「いいえ、全然わかりません。」
「わからないことが、怖い?」
「いいえ、怖くありません!」
「そう。わからないけど怖くない。 わからないって、本当はワクワクすることだったり、楽しみなことだったんです
よね。」
「ああ、本当だ!」
過保護だった自分がやめられて、初めてわかったこの気持ち。
そう!親の心配を真に受けて、心配させない子供でいようとしたときから、見えない未来は心配で怖いものにな
っていたのです。
そして、自分もいつの間にかその心配を相手に向けて、「心配させないでね」 「安全でいてね」と、無意識のコント
ロールを掛けていた。 そして、そのコントロールから逃れようとする相手の言い分も聞かず、不機嫌な態度しか
出来なくて、結局は自分から羽ばたいてゆく相手を悲痛な思いで見送るしかなかった、悲壮感だらけの過去の自分。
でも、過去回想をしてみて、本当は今までだって望み通りに生きてきて、やりたいことをやらせてもらって、それ
でも後悔ないどころか「やって良かった!」と言い切れた今の私には、もうそういう制約は不要になったのです。
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この辺から、こじれていたパートナーとの関係は、見違えるように良くなってゆきました。
理解できなかった彼のこだわりは、今となっては彼の大切なものに思える。
オサマ・ビン・ラディンみたいな大きな髭を生やして大人のふりをして、空気銃とか、無線機とか、軍隊が使って
いる迷彩色のジャケットとか、そういうものに触れて興奮している彼はまるでタリバン。
ジハードに憧れていて、英雄になることを夢見ている彼は、そのうち手に負えないテロリストになって、自分勝
手な正義感で、私がせっせと築いてきた会社運営も人間関係も台無しにしてくれるんじゃないかと、無意識に彼
の趣味を危険物扱いしていたそれまでの私。 そういう行為は子供だましの無為な遊びだと、常に異論を唱え
てきました。
でも、今ではそんな無邪気な、子供みたいな夢を抱き続ける彼が無性に可愛い。 守るべきものは、そういう無
邪気で純粋な彼の心。 けれど、それを守るのに私の保護は必要ではなく、だからどんなに可愛くても手をこ
まねく心配は無用なのです。 むしろ、私は私で自由に楽しくしている方が、彼だって心置きなく自由を満喫でき
るはず。
☆稲本 『この頃までのHIROさんは、過去の絡まった糸をほぐしてゆくと同時に、自己の内面の女性性
を癒し、解放していたのです。 そして女性性が癒されてゆくと、その次に始まってゆくのは・・・
自分の男性性を発見し活用してゆく事 ↓』
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そこで思いついたのが、前から気になっていたエジプトへの旅行でした。
「ここらでひとつ魂の洗濯といくか・・・」行ったことのない土地で、未知の体験。 セクシーでカッコいい中東系男
がいっぱい見れる! それに過去数ヵ月、いろんなことがあって本当に疲れました。
仕事仲間には最近頼ってばかりだけど、甘えついでにもう一頑張りしてもらいましょう、と勝手にチケットを買っ
て、初めてのお留守番に緊張感漂う二人を尻目に、私はいざカイロへ。
今まで中東のドバイへは仕事で何度も足を運んでいたのですが、そこには知り合いがいて、大した緊張感はな
い安全な旅行ばかりでした。でも、今回は知る人のいない土地への一人旅。
最初だけ、ちょっとドキドキ。 でも、その後は楽しいことだらけ。 アラビア語しか話さないタクシーの運転手とゼス
チャーで意思疎通をして、ピラミッドや遺跡や博物館を回り、土地の人しか入らない食堂に入って食べたことのな
い食べ物を食べて。 バザールを散策して。 観光客目当てに、優しく忍び寄ってぼったくろうとするエスコートの
男にわざと付いていって、案の定高いお金を吹っかけられて、大声で怒鳴りあったり。
そんなことをしているだけで、なぜかウキウキワクワクと楽しかったのです。
まさに、わからないことは、ワクワクすることに変わっていた!
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さらに、ピラミッドのふもとの民家を見ていると、そこですごい発見をしました。
ヒプノセラピーの最中に、たったワンシーンだけ、今まで見たことのない家の中庭に佇んでいる自分を見ました。
それは多分、今生ではない過去生の私。 性別は同じでも風貌は別人、妻帯していて、子供もいる。
それでいて、その人物は紛れもなく自分自身だという感覚がありました。 それとそっくりな風景を、ピラミッドの
そばで見つけたのです。
興奮して、早速先生に国際電話をかけ、その話をすると、驚いたというよりは「なるほど」という口調で、「う〜ん
、そうですか。 そこはあなたにとって、とっても大切な場所なんですね。」と一言。
後で考えてみると、たくさんの過去回想で余計な心配を捨て、頭は自由になったが、自由な考えが実際の行動
に反映されるようになった転機はエジプト旅行だったと思えます。
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2007年4月から5月 【体と自己イメージに変化、そして激しい怒り】
稲本先生に、この頃、言われていたことがあります。
『あなたのお腹のところに、大きなエネルギーが出番を待機しているんです。 それが出てきたら、あなたはどん
な風に変わるか楽しみです。 たぶん今とは随分違う顔をしたあなたになるでしょうね。 頭がこれだけ自由に
なって邪魔がなくなったから、徐々に出てきますよ、でもビックリしないでくださいね。』
「??? なにそれ!」
これは私にとって本当に新しい情報でした。
頭から胸くらいまでの感覚は、今までにも感じたことがあったのですが、その下に違う顔をした私が棲んでいる
!?
腹を割って話すとか、腹黒いとかいう表現がありますが、想像するにそれは多分きれいごとではない本音の自
分。 エロいのもグロいのも全て含んだ、野太くて熱くて粘っこい塊。 なにか、そんな想像が浮かんできました。
そんな話を聞いてしまうと、お腹の中に潜む自分とやらを生み出したくなったのです。
そこで私が考えたアイデアが、乗馬マシーンでした。 これはエジプトでラクダに乗ったとき、普段使わないお腹
や背中の筋肉が、後で筋肉痛を起こしたことがヒントになっていました。
それを先生に言ってみると、
『う〜ん、いいアイデアですね!それは効果あると思いますよ。 ほらメイクラブを思い出して御覧なさい、腰を動
かすときにお腹の深いところにある筋肉を使っているでしょう。 その奥に深〜い感情が潜んでいるんですよ。』
「さすが、深いこと言うなぁ、先生。」
私は思い立つと、素早い方で、すぐさま乗馬マシーンを購入し、毎日数回乗ってみました。
乗り始めてすぐ気づいたのは、立つ姿勢、歩く姿勢が全然変わったこと。 前は膝から下でそろそろ歩いていた
のが分かるくらい、お腹を使って脚を引き上げ、大またでのっしのっしと歩くようになりました。
背中のS字を腹筋と背筋がしっかり支え、自然と胸を張った姿勢にもなってきた。 そして歩いていると、自分特
有のリズムが出てきて、気持ちがノッて来るのです。
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私たちの中には、鏡で見ている自分以外に、いつも脳裏にこびりついている自己のイメージというものが存在す
ると思うのです。 丁度この頃、そのイメージが急激に変化した気がしました。
具体的には、以前の脳裏にある自分のイメージは、か弱で頼りなく、ちょっと女々しいものでした。
でもその頃から、自分のイメージは男性的で、勢いがあって、力強いものに変わりました。
そして、鏡で見る自分と脳裏にある自己イメージの差が、この時期、グングン縮まってゆくようでした。
前に述べたとおり、私は中東系のワイルドでセクシーな男が大の好みだったのです。 ところが、この時期から
男性に対する特定な嗜好はガックリと減少。 「自分と同じ男じゃないか!」と思えたら、男らしい男を崇拝する
気持ちは消えてしまいました。
私は昔から考え込みやすく、神経質でムスッっとしていたり、無口でもっさりしたイメージを相手に与えやすかっ
たのですが、この辺から無防備にニヤッっと笑ったり、人に会ったときに嬉しい表情が無意識に出たり、自然な
感情表現が顔に表れるようになりました。
これらの良い変化を追いかけるように出てきたのが、言いようのない「怒り」です。
以前なら見逃していたような、相手の狡さが許せない。
お互いの弱さを庇い合う様に目を瞑りあってきた「狡さ」が、目に付いて仕方ない。
「まあいいか」はもう出来なくて、「今日こそハッキリ言ってやる!」と啖呵を切りたくなるのです。
取引相手の調子のいい態度に腹が立って、突然食ってかかったり、昔から自己中だった友達のいつもの態度
に突然キレたり。 大して好きでもないのに腐れ縁で続いていた友人がこの時期3人ほど消え去りました。
毎日毎日、何でこんなにイラつくのか、特に高齢者が多い家庭内ではそういう自分を出して波風立てたくないの
で、一時はどう対処したらいいのか頭を抱えてしまうほどでした。
『私って、前からこんなに衝動性が強い人間だったのか?!』何かの拍子に私の中から出てくる、抑制のきか
ない激しい衝動。
『でも、これを悪者として抑え込んで、みんなのために平穏に生きるのが、本当に幸せな人生なのか?』
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両親の離婚以来、ずっと父方の家族に育てられてきた私と弟が、寺のある生家を離れて暮らした3年間があり
ました。 父が再婚し、義母と暮らしたその時期、義母は父親の家族とのしがらみを嫌って、質素でも良いから
核家族だけの暮らしを望みました。 何事にもバランス重視で、優柔不断なところがある父の性格。
二人の愛情が大事なのか、寺の家族としてのバランスの中に、私はただ嫁として組み込まれるだけなのか。
今考えればわかるのですが、それは初婚で後妻になり、連れ子の面倒も引き受けた義母にとっては外せない
重要な問題。 彼女はそのことを見極める究極の手段として核家族でのつましい生活を選んだのでしょう。
でも、実際の“核家族”の生活は初めのうちだけ。 そのうち、午前様の父を、苛立ちをかみ殺しながら待ちぼう
けする毎日を送る皮肉を味わった義母の怒りは、連れ子であるまだ10歳そこそこの私と弟に向って投げつけら
れました。 他に監視する人もいない無法状態の家庭で、掃除と食器洗いを義務付けられた私と弟に対する義
母の仕打ちは常軌を逸していました。
掃除した床に、藁くずほどのゴミが落ちているだけで往復ビンタの制裁が加わる。 言い逃れをしようものなら、
裁判にでも掛けられるように執拗に尋問され、つるし上げられる恐怖が待っていました。 機関銃のようにえげつ
ない言葉でやり込められて、悔しくて、そのことを訴えようと寝た振りの布団の中でいくら待っても、父は帰ってき
ませんでした。
そのとき私を襲った閃き。 『もう、誰も頼りにならない。こうなったら自力でこの状況を脱出してやる!』という強
い衝動。 買い物に出かけた義母の目を盗んで、実行した2度の家出計画は見事に功を奏して、念願叶って生ま
れ育った家に帰れたことは、誰に対する報復でもなく、ただ自分の人生を自分で切り開いた自分への自信と誇り
になりました。お陰で、私には虐待の傷はほとんど残っていないのです。
「自分の人生、自分で何とかしてやる!」
いざとなったら、手段を選ばず結果を恐れることもなく、停滞した事態をぶち壊そうとする、自分に宿るものすご
いパワー。
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この気持ちの出所を辿ってゆくと、行き着くのは寺のしがらみを飲み込めずに、飛び出していった生みの母親で
した。 “こらえ性がない。 大嘘つき。 すぐケツをまくる、利己主義のやくざな人間。”
寺という体裁重視の環境の中で悪者扱いされて、それでいて今でも語り草になっている、母親の性癖。
でも、実は母から受け継いだその性癖が、人生の中で私を何度となく窮地で救ってくれていたことがこの時期に
明らかになってきました。
今の仕事のパートナーを、不遇な環境から救い出したのも、この気違いじみたパワーと情熱のなせる業だった。
修学旅行の宿で、友達がイジメの集団攻撃に遭いそうになったとき、一人でその攻撃を鎮圧したのも、この馬
鹿力だった。
怖いもの知らずなのではなく、この力を出すと、怖いものが消えて、自分の中に平和な世界が戻ってくるのです
。 家庭内では悪者扱いされるこの衝動性は、本当はいざというときの守り神のように、自分を支えてくれる貴
重なエネルギーだった。
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セラピーの中でわかった事実で、私の体の中には、「何事も穏便に・・・」というデリケートな父の性格と、「いざと
なったら手段を選ばないわよ!」という母親の性格が両方宿っているのです。 頭からお腹の半分までが父親
の世界。 その下が母親の領域。
丁度それは、寒気団と暖気団が押し合う梅雨の気圧配置のようで、谷間の梅雨前線に当たる体の部位には昔
からよく痛みが現れていました。
乗馬マシーンで刺激された腰と下半身からは、家庭環境のせいで押し縮められていた母親の世界が徐々に勢
力を拡大していて、そのときの痛みは背中に強く出ていました。
このエネルギーが、いろんな経験と回想があった後に解禁されたのには、多分重要な意味があって、いろんな
人たちの気持ちを味わったから、今の私はやり過ぎた後に、仏心にも近い優しい気持ちが溢れ出てきて、平和
を連れてくるのです。
この時期、解禁された衝動性が “怒り” という形で噴出して、仕事の場でも態度がキツくなった私でしたが、同
僚は、私のそういった激しやすい部分を、実は案外前から理解していたようで、やり始めると止まらない私の勇
み足を、「しょうがないな」と笑って受け流してくれることが多かったのです。
むしろ、その呆れた笑い方からは、「それでこそお前だ!」というポジティブな反応さえ感じられる程でした。
このことからも、今まで思い込んでいた自己のイメージは、まわりが認識する私のイメージとはかけ離れていた
ことが判ります。
怒りを感じてそれを外に出してゆくたび、内外のイメージのズレは一つずつ修正されてゆくようでした。
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相変わらず出会いを求めている私でしたが、この頃からお誘いさえあれば、どんな相手でも会ってみようとホイ
ホイ出かけて行ってしまう身軽さとか、積極性が強くなってゆきました。
白人だろうが黒人だろうが、なんでもまずは体験。
外見はさほど好みでなくても、付き合ってみれば案外、味なマッチングなんてものもあるのかも知れない。
やってみなければわからない。 少し無謀と思える冒険をするのが楽しかったのがこの時期です。
ゲイのセックスには大別して男役と女役が存在するのですが、昔の私は相手のために、そのどっちかに徹する
のが良いことのように思い込んでいました。 だから、相手が男役をやりたい人ならば、やりたくなくてもウケに
徹しなければ嫌われて去られてしまう。 そのことがセックスにまつわる無意識の恐怖になっていることに気が
つきました。
ノンケの相手と付き合っていたときの私は、ウケ役が多く、精神的に受け付けていなかったのに随分、無理をし
ていました。 そして、ゲイの相手と付き合い始めてからは、ウケの人ばかり選んで、その恐怖を避けていました。
痛い思いをする恐怖はないものの、強制的にヤらされてばかりいることにもそのうちウンザリしてきていました。
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この頃から、相手に合わせる恋愛のパターンはほとんど出なくなりました。
昔は相手の希望を読み取ってから、それに合わせるように自分を出すようにしていましたが、この頃から先ずは
ざっくばらんに会話してみて、そこで自然に起こるお互いの反応から行き当たりばったりのやり取りが生まれて
ゆくといった、成り行きを楽しむ恋愛になっていったのです。
稲本 『“役割を演じていた恋愛”から、「そのままの自分で良いんだ!」という自然な恋愛観へと変化し
ていったのです。 無意識に演じていると、それは “自分では無い” のですから、こうゆう自分に気付け
ないと、心から愛し合うなんて無理なんですよね! (^。^)
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この頃付き合っていたのは、黒人のアメリカ人でした。彼は、黒人の屈強なイメージとは全く違う内面を持った人
で、笑う顔がとても可愛くて、和気あいあいと抱き合ったりキスするのが大好きな人でした。 彼とのベッドの中
で、役割を演じる強迫観念から解放されて、ただ触れ合って時を過ごすことが心地よく、悦びに感じられるように
なりました。
尽くしたり、相手の好みを演じないでも付き合いが成り立ってしまうことは、私にとっては驚きの大発見であり、
「何かをしてあげないと愛されない」といった、条件付の愛情から解放されたことがとても嬉しくて、その喜びが
日常にもウキウキした、明るく楽しい自分を呼び戻してくれたようでした。
残念ながら、その彼は「アメリカに帰る」と言って、突然姿を消してしまいましたが、嬉しい変化をもたらしてくれた
彼は、今でも憎めない可愛い人です。
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2007年6月7月 【体に合った生活スタイル】
一つ前の時期に爆発した怒りは徐々に収束して行き、その後出てきたのは疲れでした。
調子にのって乗馬マシーンに乗りすぎて、お腹と腰の筋肉を痛め、鍼治療に通うまでに。
でもよくよく考えてみると、腰の疲労は昔やっていたトラックドライバーの仕事、座りっぱなしの事務作業、さらに
は無為にパソコンの前で時間を過ごすことなど、この痛みはいろんな無理の蓄積だと分かってきました。
私は長男でありながら寺を継ぎませんでした。 「絶対イヤ!」と突っぱねてしまったものの、その後も自分の進
路を決めるに当たって、『蹴ってしまった跡取りの道に見合う立派なものにならなければいけない!』と思い続
けてきたのです。 今思えば、それは大変な無理難題で、暗中模索の未来探しの途中で、立派なお坊さんに見
劣りがしない自分の姿を披露できる訳などなかった。
何をやっても家族には後ろめたくて、新しいことを始めるならば、誰も起きていない夜中に、こっそりと。
「お披露目するのは、それが見せられる形になってからでないと・・・。」 そういった地下活動が、私の極端な夜
更かしの由来だったことに気がつきました。
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私は働き者でも、スポーツマニアで体を酷使してきた訳でもありません。 でも、体にとっては、そのときそのとき
の勝手な都合に付き合わされて、本当に大変だったと思うのです。 時には、まわりに気を遣いすぎて、気の向
くまま動けなかったことも、座りすぎ考えすぎで心身にストレスを与えていたはず。 そのストレスから増えるタ
バコも、体にとっては大きな負担だったでしょう。 本当に、今まで良く持ち堪えてくれました。
そんなことに気づいたら、体を労わりたい気持ちが湧いてきて、同時に眠くて眠くて仕方ない日が続きました。
夕食を食べた後もゴロリ。 仕事をしていて睡魔に襲われたらゴロリ。 何をしようか決まらなくて考えあぐねたら
ゴロリとうたた寝。 習慣的に思い込みの行動に支配されそうになると、体が勝手にスイッチをOFFにして、眠気
が襲ってくるのでした。
前の時期、噴出した “怒り” と共に気付かされた、体の中で真っ二つに断裂していた、父と母になぞらえる私の
中の二つの人格。 セラピーの中で、「眠っているときに体は起こった変化を消化しているんですよ」という指摘
をいただきましたが、この眠りの中で起こっていたのは断裂していた二つの人格の和解だったのかも知れません。
それはお互いが妥協して融合するのではなく、元々は同じ出所の二極の性質が、その性格をそのままにお互いの
存在価値を認め、共存してゆく道を選択したのだと言うと、とても納得のゆく答えになります。
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眠い時期の後、突然に起きた嬉しい変化は、朝起きられるようになったことでした。
自営業なのだから、仕事の段取りは自分で決めてよい。 だから、やるべき順番で動かないで、先ずはやりた
いものから。 時には、お得意さんに油を売りに行くなんてスケジュールだって、大丈夫なのです。
他人がどう思うかは2番目で、先ずはやりたい気持ちを優先しようと思えたら、ある日から急に朝起きられるよう
になりました。
私はこの変化がことのほか嬉しく、稲本先生にいきなり電話して報告したほどでした。
それは、進路に迷った19の頃からずっと裏街道だった自分の人生が、やっと日のあたる場所に戻ってきた、大
変おめでたい転機だったからです。
人って、知らず知らずのうちに、随分無理をしているものなのですね。 世間的には役立たずのプー太郎をして
いた頃から、自分が無理を重ねてきたなどと、誰が想像できたでしょうか。
でも、体はその全てを受け止めて記憶しているのです。 無理のメカニズムは、他人との比較では解らない構造
になっているので、自分の体の声を謙虚に聞いてあげることは大事なことなのですね。
私たちは、頭で考えた理屈を体に押し付けることはしても、体の言い分はしっかり耳を傾けていないことが実に
多いのだと、この頃の経験から学びました。
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体に関する一連の変化を経た後、恋愛とセックスに対する態度や気持ちにも変化がありました。
どちらかと言うと相手に対して慎重なアプローチをする方だった私の態度は一変し、自分から仕掛けて、相手を
構って反応を見るのが楽しくなってきた点です。
要するに、スケベなオジサンの本性が現れてきたのです。 でも、それは自分の年相応の外見にも内面の世界
にもマッチしたものらしく、やっていて違和感がなく、相手にもすんなり受け入れてもらえることが多かったので
す。
相手がエッチな気分になってくると、自然とエッチな言葉が口を突いて出てきて、そのことで一気に親密さが増し
たり、自分の外側とも内側ともタイミング合った表現が出てくるようになりました。
構っていて楽しいので、自然と年下に関心が強くなってきました。 相手に彼氏がいようが、お構いなし。
堅いことを言う相手をハラハラさせるのが楽しかったりするのですが、心に悪意はなくて、それは相手に対する
エンターテイメントだったりするのです。
恋する気持ちは、自分や相手にとって都合の良いときだけ出てくるものではない。 頭で考えた都合を無視して
、自分の中に起こっている衝動を言動にしてみると、それがそのとき一番新鮮なトキメキを呼んでくるのです。
昔の私は、覚悟を決めた重い恋愛が得意でしたが、今の私は・・・・随分、軽い男です。 思いやりも大事だけど、
そればっかりじゃつまらない。 意地悪や悪ふざけも、少しならOKと思えてしまうのです。
自分の外見については、ハンサムじゃなくても、なんとなく魅力があって、鏡を見て「オッ、いい感じ」と思えるよう
になってきました。 自信なんてなくて良いのです。 外見が自分という自然を表現していて、それがなんとなく
“見れる” レベルであれば。
面白い現象がもう一つあって、その頃から、道路ですれ違う相手に自然と道を空けてもらえるようになりました。
不遜な態度で相手を威圧しているのかもしれませんが、存在感が増したとも思えました。
さらに、街を歩いていて、男性にも女性にも、ハッと注目されることも多くなりました。
女性は私がゲイだとも知らないで男らしい異性として意識し、カッコつけてる男ほど、私のことを “男” を張り合う
同性として一目置いているのが、聞かなくてもその見方から判るので可笑しいのです。
(稲本) そう。 この頃のHIROさんは額や眼の周囲にあったシリアス(?)不安感の様な印象が急速
に消えてゆき、眉間が明るくなってゆきました。 冒頭で『困惑した様な、眼から額の辺りはまるで仮面
舞踏会で顔の上半分を隠すマスクを着けている様な・・・』 と書きましたが、正しくそのマスクが取れて
HIROさんの本当の顔が現れて来た時期です。
読んでる方は「どんな人なのか?」と興味が沸くのではないでしょうか? 有名人で言えばK-1格闘家の
角田信朗さんに体型も笑顔のソックリ! と言えばイメージ出来るのでは?
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2007年、8月〜9月現在 【間違わないより、間違って訂正が良いね!】
これからの私は、軽い恋愛ばかりになるのかと思っていたら、1月に会ってすぐ別れた彼との、感動的な再会も
ありました。 これからアメリカに渡ってしまう彼は、日本での最後にもう一度会いたいと、連絡してきたのです。
別れ方が別れ方だったために、最初は後ろめたさが抜けない彼でしたが、「エッチする覚悟じゃないと、会わな
いよ!」と、単刀直入で軽い私の態度に肩の荷が下りたのか、彼はすぐに会ってくれました。
その日は丁度、彼の誕生日でした。 記念日だし、ホントに久しぶりなので、ただ懐かしい気持ちだけで何も期
待しないで会ってみると、やっぱり彼は私にとって特別で、他の人が消えてしまうくらい大好きな気持ちが戻っ
てくるのでした。
これからアメリカに渡って仕事をしながら大学院に向けての進路を邁進してゆかなければと考えている彼は、改
めて恋人同士の付き合いを求めている私をまたしても拒みましたが、会っている間、彼からは前にも増して「好
き!」というシグナルがひしひしと伝わってきました。
ベッドの中でも、彼はどこかとても真剣な感じで、私の感覚を出来るだけ深く受け止めて、自分の中に刻み込ん
でいるように見えました。 あの彼の表情を思い出すと、私は今でも気が狂い出しそうです。
彼は、「仕事してお金を貯めて大学院に入る道のりを進んでゆくためには、恋愛は邪魔になる」と考えているの
でしょうか? それとも、「将来への道へ本気になって進んでゆかない自分から、恋する自由を奪うことで、罪の
意識から逃れよう」としているのでしょうか。
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気ままな行動で私を翻弄しても、無意識の思い込みで自分を抑制して、そこから生まれる宿命感に嘆いている
もう一人の彼がいる。 そんな彼が、いろんな思い込みから解放される経験を持ったばかりの自分の前に再び
現れたのは、これまたタイムリーなことだったのかも知れません。 相変わらず頑固で、言い出したら聞かない
彼。
でも彼の本心は、朝の通勤ラッシュの駅で別れるときにバツが悪そうに上目遣いで、それでも精一杯の気持ち
を込めてしてくれたキスの中に込められていたと思い出されます。
「今は何も約束は出来ない。 ゴメン。 でも、愛してる。」 これは彼の無言のつぶやきです。
実際に、「もう、しばらくは誰とも付き合えないと思う。」と、彼は言っていました。
「将来のことも、恋愛も、両方取って最高の幸せを手にすれば良いのに。」
「なぜやせ我慢をすることで、一生懸命生きている確信を得ようとするのか。」
「約束もないまま、彼への想いを抱いて置いて行かれる私は、また生殺しにされるのか。」
それでも、雁字搦めの固い頭の彼が、面倒くさくて嫌だとは、思いませんでした。
この抑圧が、いつか解放されたときに喜びに変わって、彼に自由になった嬉しさを教えてくれる。 私は、彼にも
いつか必ず訪れるそのときが、とても楽しみなのです。
そしてそういう彼だからこそ、私はこれからも頼まれてもいないおせっかいを焼いて、もし彼にひじ鉄を食らっても
性懲りもなく諦めないのだと、どこかで私も彼も分かっているのです。 遠距離の片思いになってしまった彼とは、
11月に彼が育った故郷であるメキシコで、また会うことになっています。
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近頃の私は、自由になって感情表現が豊かになって、時々勇み足で自分でもギョッとする行動に出ることが多く
なっています。 仕事仲間とのやり取りの中で、相手に対する不満を口にすると、エスカレートして容赦なく怒っ
て、後になって後悔して、今度は「ごめんね〜」と気を遣って気持ち悪いくらい優しくしたり。 得意先の会社の女
性に、電話でエッチな冗談を言ってからかってから、後で失礼じゃなかったかとヒヤッとしたり。 最近の私は、
かなり早とちりで、おっちょこちょいです。
でも、残酷な自分の後には、必ず優しく愛情豊かな自分が出てくるし、悪ふざけの後には、誠実さをアピールす
る自分が却って際立つ。 間違ってこそ訂正のチャンス。
でも、間違うことがなかったら、多分何も起こらない、淋しく退屈な毎日になってしまうのではなでしょうか。
1年前の私は、ブレのない統制が取れた人間になってゆくことが、人生修養を積んだ人間の向う方向であり、私
自身もセラピーに通うことでそういう自分になってゆくのかと想像していました。
でも、今見えている理想は、それとは全く逆と言えます。
間違いは訂正のためにだけ存在するのではなく、訂正のためにも間違いは存在する。
だから、間違いがあってこそ豊かな人生。 それに、人の想いって、全てこの間違いと訂正の往復を通してのみ
、相手に伝わってゆくものだと思うのです。 最近の私には、あっさり間違ってチャッカリ訂正する経験が度々重
なっていて、今それに段々慣れて、出てくるままの自分を上手に乗りこなそうと練習している真最中です。
この度、こうしてセラピー体験記を書かせていただき、私にとってのセラピーは、忘れていた人生の豊かさを思
い出させてくれる、とても貴重な体験の積み重ねだったと、一年の軌跡を感慨深く振り返る機会を得ました。
このような私的な事柄を、膨大な文字数で書くことに決めたのは、私の経験が、同じように自分本来の生き方を
探している方々の参考になれば嬉しいと思ったからで、その為には当時の状況を思い残すことなく書き切って
提供するのが一番だと感じたからです。
自分が幸せになることと、全ての人の幸せはリンクしていて、決してたがうことはありません。
すべての人が、憚ることなく、ご自分を幸せにする道を選んでゆくことを心から願って、私のセラピー体験記を終
えることにします。
2007年9月15日
HIRO
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仏教の例えだったか(?)で 「人は2度生まれる。」 と言います。
1度目は赤ちゃんとしてこの世に生まれた時。
でも2度目は? 本来の自分を思い出し、自己に目覚めてゆく時。
だからHIROさんに対して私は様々なキャラクターの様々なセラピストだったり、
時にお産婆さん役になったり・・・
でもそれは 『思い出す』 という表現が最も近いのでしょう。
思い出す・・・。
何を・・・?
自分を。
過去の自分を
そして本来の自分を。
そして、その上で今のこの人生に、 何をしにやって来たのか?
生まれる前、魂が抱いた夢を。
思い出した自分を!
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私達は何度も何度も生まれた。
何度も何度も生きた。
何度も死に、 また何度も生まれ。
時には殺し合ったり、時には殺され、
そして愛され、愛を知り、愛そうと(与えようと)してゆく。
そんな様々な経験によって少しづつ賢くなり、
進化した意識体(魂)へと、一歩づつ成長してゆく。
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HIROさんは決して特別な人では無い。
これを読んでいるあなた自身だって何度も生き、何度も何度も死に、
また夢を抱いて生まれ、 その度に成長してきた。
そしてHIROさんの1つ前の過去生は聖職者
神様の言葉を伝えたり、人々の心の支えとなったり、
悩みや相談を聞いたり、懺悔も聞いていたのかも知れない。
だけど、聖職者とは言え、一人の人間として様々な人々の生活を見て聞いて来て、
「多くの人々の役に立ってる。 後悔は無い。」
でも、そんな普通の人々の実生活の営み、触れ合いや、恋に悩んだり
愛し合う姿、 夫婦の姿、 家族というもの・・・etc
たくさん、たくさんの人生の営みを見守っている内に、
そんな「愛し、愛される人々の生活」に憧れたのでしょうか?(^。^)
聖職者を十分にやったからこそ、今回の人生に「熱い情熱。恋・愛・セックス」
というテーマを夢見てやって来たのかな? と思うのです。
そんなHIROさんのこの部分を見た時、ふと思い出したのが、
映画の「ベルリン 天使の詩」 リメイク版「シティ・オブ・エンジェル」
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HIROさんは1ヶ月に1回〜2回ぐらいのペースで来続けました。
退行催眠(ヒプノセラピー)もやりましたし、 ボディーワークも、フェイシャルもやりました。
でも一番多かったのがカウンセリング。
その日、その時の心の中に浮かぶ事を、ただただ話してゆく事が、
その日に必要な事を解放してゆく事になってゆく。
話せば話すほど、話した(放した)から、「そう言えば・・・」と、更にその奥のものが浮かんでくる。
そして手放すと、 更に奥の “気付き” が出てくる。 すると、自然に理解する。
バラバラだったジグゾーパズルの1ピース、1ピースがつなぎ合ってゆく。
そんなプロセスの中で、今現在の人生の様々な過去を見直し(学び直し)
自分の思考・感情・振る舞いの中で違和感のあった部分や無意識の部分を見直し、
たくさんの過去の影響を解いてゆき、自分の歴史を学び直していった。
そして自己の内の女性性を癒し、育て直してゆき、
次に本当のナチュラルな男性性が発芽・成長してゆき、
気が付いたら理想的な自分に成っていった。
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昔、ヒプノセラピストの授業の一番初めに聞いた言葉にこんなのがある。
「ギリシャのデルフォイの神殿に書かれている言葉
『汝自身を知れ!』
私達は自己の内にすべてが有るのです。」
今の彼の姿は・・・ とてもカッコいい(*^。^*)
いや、女性が見れば凄く良く分ると思う。
とても普通の、でも “ありのままに自然にセクシーな人”
自分のセクシャリティーを良く分っているから。
別に隠す必要も、出そうとする必要も無いから。
ありのままの自分だから、優しい雰囲気が周りに漂っている。
そして 『己を知っている』 こんな人には不思議な安心感が有る。
自分を知った人は、同時に他人を理解し、人生に振り回されない。
自分の中にある様々なものに振り回されないから、自分を怖れない。
自分を怖れないから他人を必要以上に怖れない。
何故って、他人は自己の投影だから。
そしてまた、自分の人生も、自己の内面の投影だから。
男性性にも、女性性にも、過去にも、セクシャリティーも、性欲も、
持て余したり、振り回されるのではなく、ただ自由に使うだけ。
だから使う必要の無いところでは使わないし、
ただ “分っている人” に成る。
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彼は、ずっと探していた自分 自由な自分を思い出した。
『約束の地』は、 「何処に?」 「何に成れば?」というものでは無い。
思い出した後 “今、此処” を当たり前に生きてる、自然な自分の事なんだよ。(^_-)-☆
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スフィアindex 恋愛とパートナーシップのセラピー Mission Statement 心のしくみ
ヒプノセラピー ボディーワーク フェイシャルウェルネス インナーチャイルド
セラピー体験記 サイトのご利用にあたって セラピールーム所在地 ・鎌倉市大船
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